但馬の霊峰、鉢伏山。出口なお様は、「但馬にはどえらい神様が鎮まっておられるから早く開かねばならぬ」と仰せられたという。出口王仁三郎様は「鉢伏山は竜宮の大黒柱の立っていた処」で、ここが「陸(あげ)の龍宮奥の宮の霊地。龍宮の乙姫様の御神体である」という。鉢伏山に登りはじめた時は、急な山道でとてもしんどく感じていたが、頂上に近い「龍宮の乙姫」といわれる「陸(あげ)の龍宮の奥の宮」に参らせていただき、清らかな大気を全身に吸い込みながら、まさに神々のおわしますところと感じた。すると、不思議なことに、身体が急に軽くなり、急な山道を走りだせるほど元気がでてきたのだった。さらに慈雨。龍宮の乙姫様のゆかりの霊地ではきよめの雨が降るといわれているが、まさにそのとおりとなった。丹後の海に冠島と沓島がある。これが「海(うみ)の龍宮」。「陸(あげ)の龍宮」が綾部。この鉢伏山にあるのが「陸(あげ)の龍宮の奥の宮」。これが竜宮の乙姫様であり、龍の頭である。麓の龍宮神社が龍の尾であると。令和6年龍の年。何かが始まる予感がする。(所長)
12月3日、但馬文教府において、「但馬に歴史を解く鍵」と題し、講演させていただきました。
但馬はいつから。但馬に残されたあわびの伝説や有馬皇子の生存伝承などは興味深い。
アメノヒボコ一族は、渡来人という言葉では言い尽くせない。
倭国から行き、交流し、交易し、住み、定住、往来し、渡りあう人々の観点が必要とお話させていただきました。
但馬がこれからさらに輝きますように。
主催いただいた但馬ヒストリアの西賀さん、ありがとうございました。
佐藤洋太さんは講演「天日槍命と二つの王家」。そして新著発刊、おめでとうございます。
講演後は、五荘小学校の金管バンドの皆さまの演奏をとても楽しませていただきました。
ご来場いただいた皆様ありがとうございました。
「与謝の魅力を語る」と題して、11月19日、旧加悦町役場でちりめん街道を守る会の主催、与謝野町観光協会協力で講演会をさせていただきました。
丹後といえば丹後ちりめん、そのもとをさぐれば、弥生後期、絹の文化をすでに持っていた丹後。阿知使主のこと、絹織物に関する神社、神々、豊かな伝説。そして、丹後初の王墓とされる日吉ヶ丘遺跡、ガラスと鉄の王国を象徴する大風呂墳墓の存在。
与謝とはどういう意味か。入鹿伏に秘められた豪族たちの盛衰。そして、丹後を心の故郷とした与謝蕪村。また、情熱歌人与謝野子と鉄幹。さらに「大丹波王国論」まで。
私自身もワクワクしながらもりだくさんのお話をさせていただきました。多くの皆様にご参加いただきありがとうございました。
ご参加くださったのは、地元丹後の方々をはじめ、北海道から九州まで、全国から約150人の方々がみやづ歴史の館にお集りいただきました。ご来賓には、言語学者で作家の石田天祐先生と、歴史作家の関裕二先生。
講演は、札幌大学名誉教授の奥谷浩一先生、九州からは、多くのユーチューブを発信されている古荘英雄先生、そして、私、伴の講演。さらに、やまとなでしこプロジェクト様による朗読劇、恒例となったシャーマンシスターズのテーマソングで盛会のうちに終えました。
これも、まずは、支えてくださったスタッフの皆さまのご尽力、そして、全国から参加いただいた皆様のおかげです。深く深く感謝を申し上げます。
私は鬼について、また、巫女の元と流れが丹後、古代タニハにあることをお話させて頂きました。
ここから、朝日が昇ること、このことがわかる、わかっていただけると信じています。
心より感謝を込めて。ありがとうございました。
2023年3月27日に、文化庁が東京から京都に移転、新庁舎で業務がスタートしました。京丹後市の中山泰市長は、4月1日に文化財を生かしたまちづくりを進めると「歴史文化都市宣言」をされました。地方創生、日本文化を見つめ直し新たな発信、古代丹波(丹後)王国論、歴史の再構築、絹の文化、食文化の発信。ついに、あるべき姿に向かって大きく車輪が動き出したようです。大きなうねりになることを願います。
4月15日(土)の8時からテレビ「朝だ!生です、旅サラダ」(朝日放送系列)で、丹後各地や「和久傳ノ森」が放映されます。私も森や森の中の家安野光雅館などを少しご案内させていただきました。美術館では、安野先生の「シェイクスピア劇場」を展示しています。
旅人は、人気俳優の内藤剛志さんです。とても気さくな素敵な方。丹後半島、海の京都の自然と歴史、絹と食の文化の地、健康長寿の優しいまちに多くの方々がきてくださいますように。ぜひ、ご覧いただけると嬉しいです。