第22号 天のかけはし
2023年6月1日発行
第22号 ご挨拶より『世界に日本が輝く時、夢を信じた者が輝く

多くの人が釘付けになったwBC侍ジャパン。3月22日には、侍ジャパンが歴史に残る激闘の末に世界一となりました。全員が一丸となり、全力を出し切った試合に、歓喜し感動に包まれました。何に感動させられたのか。技術の上にあったのは、やはり、精神力「あきらめない心」「強いメンタル」そして「明るさ」、まさに漫画の主人公たちをみているような侍ジャパンでした。日本で小さい時から夢をみていた野球少年たちが、世界の舞台で輝いたこと、これは、世界の中で日本が輝く時がきた「兆し」と私は感じたのです。古代から海をとおして世界と交流があった日本。交流があったということは、世界の文化が入るだけでなく、日本からも世界に乗り出していたと考えられます。日本は、古代から世界に足跡を残してきたのではないでしょうか。古代において表玄関は日本海沿岸地域であり、丹後半島はその中心、遺跡は語ります。(所長)


第21号 天のかけはし
2023年1月1日発行
第21号 ご挨拶より『須津彦神社から見える古代

須津彦神社(宮津市須津)は、須津彦(すずひこ)と須津姫(すずひめ)を祀るといい、ご祭神は、第17代履中(りちゅう)天皇と后の黒比売である。

また、ハヤブサワケ王と女鳥王(めどりのきみ)もその境内社、宇多和津(うたわず)神社に祀られている。不思議な名前だ。歌わない、語らないでよいという意味か。さらに、摂社に、弘計の皇子は西之荒神(大西大神)、億計皇子は東之荒神(奥山大神)として祀られている。

億計、弘計の皇子が難を避けた地や、眞鈴宮はほかにも伝承地があるが、ここに伝承が残る。億計、弘計の二皇子を隠された御所之内に仮宮を造営し、これを眞鈴宮と名付けられ、お住まいになられたとある。また、この時に、祖父にあたる履中天皇と黒比売の御霊を王谷(大谷、東宮ヶ谷の地)に鎮め祀られたと伝えられている。丹後の神社を探ると日本の歴史が見えてくる。(所長)


第20号 天のかけはし
2022年7月1日発行
第20号 ご挨拶より『古代史最前線 大丹波王国第8回研究会 無事終了ありがとうございました』

邪馬台国論争が解決しないのは丹後を論じないからでは、と思う今日このごろ。以前『古代丹後王国は、あった』を出版以来、続く『前ヤマトを創った大丹波王国』の出版に呼応し、大家松岡正剛様が、京都新聞の第一面で、「邪馬台国は丹後、腰が抜けるほど痛快だった」と評していただいたことがありました。その後もテレビなどでは、新しい古代史とか、古代史最前線というのですが、九州説、大和説からはやはり踏み出さないなと感じていました。

そんななかで、去る八月に放映された「世界ふしぎ発見」はゴールデンタイムの人気番組ですが、ここで、丹後の浦島伝説をはじめ、丹後の弥生の繁栄にスポットをあてた放送でした。思わず、やっと時が来たと嬉しくなった次第です。研究会終了後、さっそく研究会に入会くださった方もありました。ありがとうございます。古代の表玄関は日本海沿岸地域、伝説の故郷、先進技術、文化のメッカ丹後、古代タニハ。船は帆にたくさんの風を受けることで進むことができると。これからもよろしくお願いいたします。(所長)


第19号 天のかけはし
2022年1月1日発行
第19号 ご挨拶より 『消滅地名 丹後の「熊野」を後世に』

「熊野」という地名は、全国にありますが、日本建国の謎を解くカギといえる地名ではないかと思慮しています。「熊野」といえば、熊野古道として名高い和歌山県だとか出雲の熊野などをイメージされる方が多いと思います。しかし、「熊野郡」として、大変広い地域を表してきたのは、丹後半島にある旧京都府熊野郡久美浜町でした。平成の市町村大合併により、平成一六年に熊野郡久美浜町は、京丹後市久美浜町となり、「熊野郡」の地名が消えてしまいました。このことについて、私はこの機関紙や総合文芸誌『まほろば』や京都地名研究会の『地名探求』に投稿し、熊野のルーツこそ丹後の熊野であると書かせていただいてきました。今こそ、この地の重要性を後世に残したいとの思いが強くなっています。

熊野の地名の始まりの地、小さな看板でもいい、小さなことから始めることができたらと、新しい年を迎え夢見ています。 (所長)


第18号 天のかけはし
2021年7月21日発行
第18号 ご挨拶より 『作家、タニハに注目、感謝』

まさに目からウロコ、『決定版・古代史の謎は「海路」で解ける』(PHP文庫)は長野正孝氏のベストセラー。この本の第5章は「卑弥呼が治めていた倭国・丹後」として、「伴とし子氏は、卑弥呼は丹後にいたとしている。私も鉄の交易から丹後に卑弥呼の王国があったと考える」と書いてくださっている。直木賞作家の安部龍太郎氏は『日本はこうしてつくられた』(小学館)の第2章「謎の丹後王国編」で、68頁から70頁にわたり、『ヤマト政権誕生と大丹波王国』などの拙著と論旨を紹介してくださり「大丹波王国の存在も公の記録から消し去られている。その誤りを正さないかぎり、日本の古代史の本当の姿は見えてこない」と評された。また、人気作家関裕二氏は『古代の謎を歩く』(宝島社)の第1章で丹後を書いてくださった。さらに、『イザナミ語造語辞典・偽史倭人伝』ほか多数の著書をもつ言語学者・小説家石田天祐氏は、大丹波王国論に対し応援狂歌を贈呈くださった。これは、『まほろば』(第77号)に所収。大丹波王国応援狂歌のうちの1首を謹んで掲載させていただきたい。

「時は今 天が下知る 丹波国
   卑弥呼は踊る 百襲(ももそ)乱して」

作家先生方、ありがとうございました。(所長)


第17号 天のかけはし
2021年1月1日発行
第17号 ご挨拶より 『さあ、今、何ができる。今だ。』

燈明を供えるとは、四方を照らすがごとく社会の中で平等に判断するを誓うこと、花を供えるとは、苦難に耐え、自分の花を咲かせることを誓うこと、線香を供えるとは、私の人生も燃え尽きるまで不断に精進し、貢献するを誓うこと、と成相寺にあり、国家の安寧を祈りました。令和二年九月の研究会でタニハ国が日本建国始まりの地であるとお話をさせていただいた直後の九月一八日には、京丹後市丹後町上野から約三万六〇〇〇年前という後期旧石器時代前半の石器など見つかり、府内最古の遺跡であることが判明。某情報によれば近畿内でも最古とのことだ。縄文・弥生を超える後期旧石器時代でもタニハは始まりの地であったのだ。さて、若狭に年縞博物館がある。若狭町の水月湖の湖底に七万年もの縞々が作られていたことで、年代決定の世界標準のものさしとされているという。人類の七万年の歴史が刻まれていた。そう思うと私たちが生きている今の、なんと一瞬であることか。この「一瞬」を思いきり精進しなければと思う。又、「一瞬」ではあるが、「永遠」でもあるのではないか。人智を超えた何かしら偉大なる何者か(サムシンググレート)によって、私たちは何かを為すために生命をいただいている。「懸命な努力、自分や仲間を信じる力、絶対にやり遂げるという強い志があれば、天は必ず味方してくれる」と村上和雄氏はいう。さあ、今、何ができる。何をしよう。行動しよう。(所長)


第16号 天のかけはし
2020年5月20日発行
第16号 ご挨拶より 『おのごろ島伝承がよみがえる』

天地初発のとき、天御中主神が出現した。そして、イザナギ神イザナミ神の二神は、このただよえる国を造り固め成せと天の沼矛を賜いた。天の浮橋から天の沼矛でかきたまえば、矛の先から滴り落ちる鹽(しお)がつもり嶋となった。これがおのごろ島である。そこに天降りし国生みがなされたという創生神話がある。

不気味な新型コロナウイルスが突然地球上を席巻し、蔓延し、国境がないことを教えてくれた。人類すべてがこのウイルスに翻弄され、まだ先は見えない。この陰では大きなチェンジが始まっている。人類への警告が現実化した。今こそ、誰もがジャンヌ・ダルクのような愛と勇気をもって、毅然と立ち向かうときがきている。試練は乗り越えられるものに与えられる。

今、本当の国造りが求められている。天御中主神、天照大神、豊受大神、瀬織津姫神の天意に守られながら。百年に一度といわれるこの国難に私はなぜかおのごろ島伝承を思いだした。豊かな森を飛び交う鳥たち、地球の肌が透いてみえる碧い海。地上に咲き乱れる花々の優しい会話。土を耕し生産を喜ぶ笑顔の人々。二一世紀を生きる私たちが求めるべきは自然が煌めく桃源郷の世界ではないかと思うのです。(所長)


第15号 天のかけはし
2020年1月1日発行
第15号 ご挨拶より 『歴史の中の人々の情熱と共に』

歴史とはなんですか、と問われたら、「それは大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです」と答えることにしていると、司馬遼太郎さんが書かれている。「この世にも素晴らしい友人がいるが、歴史の中にもこの世では求めがたいほどのすばらしい人たちがいて、私の日常をはげましたり、なぐさめたりしてくれている。だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは、おすそわけしたいほどである」と。

かつて情熱的に生きた数えきれないほどのたくさんの人々が今はいない。しかし、私にはその熱情が消滅するとは思えないのだ。身体が消えても燃えるような魂は、現世を生きる人々を励まし応援し、常に求める者のそばにいると。私たちはそうした大きな歴史の中で生きてきた人々とともにある。その方々の魂を受け継ぎ、生きさせていただいている。(所長)


第14号 天のかけはし
2019年8月10日発行
第14号 ご挨拶より 『令和元年を迎えて』

2019年5月1日、令和元年となった。なぜだかわからないが、今年に入ってから無性にかぐや姫のお話がしたくなった。かぐや姫は、丹後の竹野媛の曾孫であり大丹波王国にゆかりが深い。竹野媛の父は旦波の大縣主由碁理である。竹野媛が祀られる竹野神社は京丹後市丹後町間人にある。間人といえば間人皇后の領地があった場所である。間人皇后の母は小姉君。この女性が大丹波王国の鍵を握っていると考える。そして、聖徳太子の時代がおわり、中大兄皇子と中臣鎌足により蘇我氏が滅亡し、大化となる。これにより、それまで前王朝に脈々と流れていただろう血脈と栄華は隠されていった。令和の時代を迎え、改めて古代の人々に思いを馳せ、その声に耳をすましたい思いである。(所長)


第13号 天のかけはし
2019年4月10日発行
第13号 ご挨拶より 『女性の力』

古代を探る時、浦嶋伝説や羽衣伝説に出会い、それが文献学的に最古であるのが丹後の伝承であるということを知りました。そして、伝説が単なる作り話やおとぎ話ではなく、隠され消された敗者の歴史が伝説となったのだと。そうした思いは、考古学の成果からも後押しを受け、確信へと変わっていきました。『古事記』『日本書紀』の伝える歴史とともに行間に隠されているものを探し出すとき、大丹波に秘密があることに気づいたのです。そして、歴史の流れの中で女性の果たした役割と力に。歴史を彩ったさまざまな女性の姿は、時を超えて私たちのなかにもその魂のひとかけらが宿っているのではないでしょうか。目に見えない大きな力により導かれていることを感じます。(所長)


第12号 天のかけはし
2019年1月1日発行
第12号 ご挨拶より 『歴史研究は、果てしない鉱山にはいっていき、あるともないともわからない鉱脈を掘り出すような作業である』

この言葉は、「歴史研究会創立六〇周年記念全国大祭」での「歴史大賞」の選考委員長の所功先生のお言葉です。ちょうど、歴史を綴られている方から「歴史研究は、孤独な長い旅ですから、ゆっくりいきましょう」と声を掛けていただいたばかりでしたので、さらに胸に響きました。継続は力、熱い探求心で、今まで隠されてきた古代の歴史を掘り起こしていきたいと思います。あいまいにされてきたことも明らかになるべき時がきているように思います。皆さまとのご縁とご協力に心より感謝いたします。これからも、よろしくお願いいたします。(所長)


第11号 天のかけはし
2018年8月10日発行
第11号 ご挨拶より 『伝承の掘り起こしから歴史の真実に迫る』

去る七月四日、「五世紀の丹後の謎を追う」と題して講演させていただきました。その後、語り合いの時間をいただきながら、伝承の重要性についてお話させていただきました。

五世紀といえば、雄略天皇の時代。丹後では、浦嶋子が常世に行ったと伝えられ、丹後の祖神、豊受大神が伊勢に遷宮された時です。また、雄略天皇に殺された市辺皇子の子どもたちであるおけをけ二皇子が逃亡してきたという伝承が、数多く残されています。『古事記』の記述にある矛盾点をどうとらえたらいいのか、一つの試論として提起させていただきました。伝承から古代史を見つめると、ひとつの隠された歴史が見えてくるようです。(所長)


第10号 天のかけはし
2018年4月10日発行
第10号 ご挨拶より 『灯る火の守り人として』

伝説には、探れば探るほど、とんでもない史実が隠されているという予感が、確信へと変わっていきます。その確信を支えてくれたのは、考古学みたから遺跡のすごさであり、書き記された文献からであり、神社や巷間に伝えられる秘された伝承からでした。

古代は日本海沿岸が表玄関であり、古代海人族の勢力が大きかったこと、ヤマト政権の基礎を作ったのも古代海人族であるという考えにたどり着き、以来、古代史探求の旅を続けています。そして、そうできたのは、いろいろな方々のご意見やご縁をいただけたおかげと心から思います。なぜ、そうするのかを自らに、静かに問いかけます。

この大丹波王国(丹後王国)の、隠された歴史、消された歴史を綴り、繋いでいかなければならないのではないか。ささやかな、微力な存在である自分であることを自覚しつつも、この灯る火、灯した火をつないでいく、火の守り人のひとりでありたい、と思うのです。

そして、そのような思いの人々と連帯し、その輪を広げられたらと思うのです。(所長)


第9号 天のかけはし
2018年1月1日発行
第9号 ご挨拶より 『丹波道主命の伝承が濃厚に残る久美浜』

京丹後市久美浜町久美浜に神谷神社がある。丹波道主命が出雲国より、八千矛の神(大国主命)を迎えて祀り、国見剣(くにみのつるぎ)を神宝として祀ったという伝承を持っている。「国見」から「久美」となり、久美浜の地名の起源ともなったともいわれる。一名、太刀宮(たちのみや)という。

丹波道主命を主祭神とする唯一の神社として注目され、八千矛神、天神玉命、天種子命が祀られている。

丹波道主の命は、久美浜の豪族川上摩須郎女と結婚、垂仁天皇の皇后となったひばす姫の父であり、景行天皇の祖父である。境内の一角には、古代より神様をお祀りし、神秘なたたずまいをみせる磐座(いわくら)がある。古代へとゆるやかにタイムスリップしそうなところである。(所長)。


第8号 天のかけはし
2017年9月1日発行
第8号 ご挨拶より 『マイフェアレディ』のテーマとは

オードリーヘップバーンが演じた「マイフェアレディ」は、映画のなかでも印象深い。最初に出てきたときのオードリーは、とても美しいとはいえない暗い顔で、言葉使いもよろしくない。ところが、ヒギンズ先生に出会ったことで、彼女自身の姿がどんどん美しく変貌する。顔が変わるだけではなく、内面から変わっていく。否、内面が変わることによって、外観が変わっていく。

これは、人が神に出会った物語であるといった人がある。ただの人が美しい人となる。誰でも人は、美しく変わることができる。この時の神とはヒギンズ先生である。この世の中には、誰にでもその人にとって神のような存在がある。そうした人物との出会いも、見えない大きな力によっているのだろう。

大いなるものによって、人は守られ、導かれている。

森の緑と光をあびながら、今できることに真摯に取り組み、時を重ねていきたいと思う。(所長)


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第7号 天のかけはし
2017年6月1日発行
第7号 ご挨拶より 「古事記」にみえる植物

応神(ホンダワケ)天皇が美しい日向の髪長姫を召し上げようとしたとき、太子のオオサザキがその美しさ惹かれ、髪長姫を賜りたいと仰せられ、天皇は寛容にも許されたという逸話がある。天皇は、酒宴を催され、柏の葉に盛った祝いの酒を髪長姫に持たせ、それを太子に捧げさせ、与えたのであった。そこで、天皇は歌う。

野蒜(のびる)を摘みに行く道のほとりに、香ばしく咲く花橘の樹は、上の枝は鳥が枯らし、下の枝は人が摘んで枯らす、三つ並ぶ栗の実の真ん中の色づいたような紅顔の輝く乙女を手にいれられたらいいだろうなあ。と。また、ぬなは(ジュンサイ)を手繰るように手が伸びていたのを知らず、気づかないでいたとは残念だった、と悔しがるような粋な歌を歌っている。

『古事記』には、こうした人間模様に植物が織り交ぜられている。「ぬなは」とはジュンサイの古名で水草で食用になる。「のびる」は、春が旬でその根を食用にする。もちろん葉も食べられる。身体に良いものばかりだ。美しい自然の中で春の若菜を摘む楽しさや「花橘」の香ぐわしさが愛でられること、自然のものを食する幸せは、昔も今も変わらない。これからも変わらないでありたい。(所長)


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第6号 天のかけはし
2017年1月1日発行
第6号 ご挨拶より 『信じる力は』

赤猪子(あかいこ)という女性が『古事記』にでてきます。雄略天皇と河辺で出合い、いつか迎えにくるからといわれて、それを信じてどこへもお嫁に行かずに謙虚な気持ちで待っていたら、九〇歳近くの高齢のおばあさんになってしまいました。ここまで待ったのでせめて死ぬまでに、この気持ちを伝えたいと思って天皇に会いにいきました。

天皇は、すまなかったと思ったがお互いに高齢となっていました。そこで、二人は歌を交わしました。

赤猪子は、恨むのではなく、それを許し、満足して帰っていきました。私はこの赤猪子がなぜか好きです。この途方もなく疑いをしらない信じる力と謙虚さ。彼女はいつも夢を見ている少女のような魂と、人を疑ったことのない天性の明るさと信じる力を持っていたのです。そして、すべてを許せる寛容な心があったのです。信じる力と謙虚さ、許せる力があったら、人生という時間のなかでどんな脅威も乗り越えられます。日本人にはこの美しい潔さがあると思うのです。(所長)


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第5号 天のかけはし
2016年9月1日発行
第5号 ご挨拶より 『旺盛な好奇心と若々しい情熱を

人生の後半に夢をかけたという人に神沢杜口(かんざわとこう)という人がいます。江戸時代に生きた杜口は京都町奉行所の与力、今でいう役所勤めでありましたが、四〇歳ころに退職し、八六歳で死ぬまで文芸の道に入り、江戸時代の一級資料『翁草』二百巻を完成させました。

たとえ才能や努力があっても思いのままに生きることは困難です。杜口の場合は、前半生で準備をし、娘婿に跡を譲って引退し、文芸に打ち込んだといいますが、何よりも健康が大事です。決して頑強な体ではなかった杜口の健康法は「歩く」ということでした。

そして、もっとも重要なことは、旺盛な好奇心と若々しい情熱を終生失わなかったことにあります。こうして、生涯をとおして現役の人生を送った杜口に多くを学びます。(所長)


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第4号 天のかけはし
2016年5月1日発行
第4号 ご挨拶より 『中今(なかいま)』

今、この世はこんなにも美しい。太陽のあたたかさ、雲間からこぼれる光の帯それに応えてきらめく海。花は咲き、陽気とかぐわしい香りを風が運びます。自然は限りなく美しく生きる力を与えてくれます。

中今(なかいま)とは、神代から未来にいたる連続性のなかで、私たちが常に命を更新し、今という瞬間で日々を過ごしていることをしめす神道の基本的な理念です。

中今の精神で、今この瞬間を懸命に生きていくこと、明るく生きていくことが大事だと、そして、それが未来を変えることにもつながっていきます。

人との出会いに感謝して、今を前向きに生きることが大切だと。

桃の花が咲けばさながらここは桃源郷・・・あたたかい風が流れています。(所長)


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第3号 天のかけはし
2016年1月1日発行
第3号 ご挨拶より 『言霊の幸ふ国』

お正月には、「おめでとうございます」と言葉を発し、年賀状にも、「ますますのご健勝をお祈りいたします」などと言葉を重ねます。これは、今日だけおめでとうといっているのではなく、一年の間、あなたに良いことが続きますようにとの祈りが込められているということです。

古代の日本人は、言葉に霊が宿っており、その霊力によって、言葉にしたことが現実化すると考えており、良い言葉を発すると、言葉が現実の事象に影響を与え、幸せになれると信じられたのです。私たちの国は「言霊の幸ふ国」(言霊の霊力が幸せをもたらす国)です。

「明けましておめでとうございます 皆様のご多幸をお祈り申し上げます」古代丹波歴史研究所は、平成二十八年が、皆様にとって、良いことが起きる年でありますようにと、心をこめてご挨拶を申し上げます。(所長)


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第2号 天のかけはし
2015年10月1日発行
第2号 ご挨拶より 『天孫降臨の島』

彦火明神が降臨した冠島 真ん中が立神岩(写真家・坂根正喜氏撮影)日本海に浮かぶ冠島と沓島は、伝説の神の島。人々の信仰を集め、沢山の呼び名があります。冠島は雄島(おしま)、大島、男島(おしま)、老人島(おいとじま)。沓島は雌島、小島、女島。二つ合わせて常世島、凡海息津嶋(おほしあまおきつしま)といいます。ここは天然記念物に指定されたオオミズナギドリの生息地としても知られ、島の境内を行くと所々に彼らの巣穴があります。

冠島を北側から見ると、ナイフのようにそそりたつ立神岩(たてかみいわ)が見えます。(所長)


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創刊号 天のかけはし
2015年5月20日発行
第1号 ご挨拶

天橋立天橋立には、古代神話に登場するイザナギとイザナミの神話が残っています。

天にいたイザナギが地上にいるイザナミに逢うために、天から橋をかけてイザナミのもとに通ったというもので、神々が初めて天と地を行き来したという交通神話であり、壮大な創生神話の舞台です。言い換えれば恋の舞台でもあったわけです。その橋が倒れてできたのが天橋立です。

古代丹波およびその関連領域の歴史を探求することで、日本史の真実に橋をかけ、あわせて皆様の心と心を結ぶかけ橋となれれば、と願っています。(所長)


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