古代丹波歴史研究所所長の伴とし子です。
全国の歴史に興味のある方々とともに、
古代史を史書だけでなく土地の声を聴き多様な観点から検証し、
日本のために尽くした方々の功績を明らかにして
未来の日本に繋げていきたいと思います。
皆さまのご参加をお待ちしています。
伴 とし子 オフィシャルサイト facebook 伴 とし子 新刊「卑弥呼の真実に迫る」

研究所の理念

「古代丹波歴史研究所」は、歴史・考古学・伝説などに興味のある方々と研究会や交流をもち、文献資料、考古学的発掘資料、伝説や神社伝承等から多角的総合的視野にたって研究を進め、古代日本の姿を明らかにしていくことを目的として活動しております。
古代の表玄関である古代丹波は、丹後を中心として、丹波、但馬を含み、さらに若狭、近江、山城等々広範囲に勢力を及ぼしており、ここに、際立った王国があったのではないかということが、数々の遺跡や『古事記』『日本書紀』の伝えや神社伝承等から考えられます。
さらに、日本海文化に、広く日本古代史に注目しながら、この研究所が日本古代史解明の鍵となりますように、先人たちが創り上げてきたこの国の黎明に思いを馳せ、国づくりに携わった方々に感謝と誇りを持ちながら、皆様とともに学び、未来を担う次世代に繋げていきたいと思います。
会員募集(随時)
古代丹波歴史研究所は、このような思いを達成するため、会員募集を行っています。
歴史、考古学、伝説などに興味のある方でしたら、どなたでも入会いただけます。皆様のご参加をおまちしています。
活動内容
  • 古代丹波及びその関連領域に関する研究・調査
  • 会報等の研究成果の刊行【不定期】
  • 研究会、公開講座、講演会、歴史ウォーク等の開催
  • 研究・調査に必要な図書・資料及び情報の収集、管理
  • その他前条の目的を遂行するために必要な事業
会員の特典
  1. 会報「天のかけはし」を送付します。【不定期】
  2. 会報に、会員の方の寄稿等を掲載します。
  3. 研究会、講演会等を、ブログ等でご案内いたします。
[年会費]
年間 1口 2,000円
FAXでのお申込み
FAX用紙はこちら
丹後事務局 奥田裕 0772-42-5042
事務局 〒523-0876 滋賀県近江八幡市本町三丁目16番地
古代丹波歴史研究所 URL:http://kodai.holy.jp/

会  報

会報「天のかけはし」を発行しています。
会員の方には、会報を発行のたびに送らせていただきます。
また、原稿の投稿も可能になります。

天のかけはし 第23号
第23号 天のかけはし
2024年月1日発行
ご挨拶「鉢伏山の「陸(あげ)の龍宮の奥の宮」の乙姫様」
第9回 大丹波王国祭りの報告
論説「丹後ちりめん・絹の歴史と渡りあう人々」伴 とし子
「弥生時代の航海の検討(1)」濱中 雄一氏
ひろば 出版紹介 佐藤 洋太氏
講演会報告 与野の魅力を語るほか
写真でたどる研究会
卑弥呼も食べた?「舟屋食堂」(伊根町)
第23号 ご挨拶より『鉢伏山の「陸(あげ)の龍宮の奥の宮」の乙姫様

但馬の霊峰、鉢伏山。出口なお様は、「但馬にはどえらい神様が鎮まっておられるから早く開かねばならぬ」と仰せられたという。出口王仁三郎様は「鉢伏山は竜宮の大黒柱の立っていた処」で、ここが「陸(あげ)の龍宮奥の宮の霊地。龍宮の乙姫様の御神体である」という。鉢伏山に登りはじめた時は、急な山道でとてもしんどく感じていたが、頂上に近い「龍宮の乙姫」といわれる「陸(あげ)の龍宮の奥の宮」に参らせていただき、清らかな大気を全身に吸い込みながら、まさに神々のおわしますところと感じた。すると、不思議なことに、身体が急に軽くなり、急な山道を走りだせるほど元気がでてきたのだった。さらに慈雨。龍宮の乙姫様のゆかりの霊地ではきよめの雨が降るといわれているが、まさにそのとおりとなった。丹後の海に冠島と沓島がある。これが「海(うみ)の龍宮」。「陸(あげ)の龍宮」が綾部。この鉢伏山にあるのが「陸(あげ)の龍宮の奥の宮」。これが竜宮の乙姫様であり、龍の頭である。麓の龍宮神社が龍の尾であると。令和6年龍の年。何かが始まる予感がする。(所長)

天のかけはし 創刊号
創刊号 天のかけはし
2015年5月20日発行
ご挨拶
いまここから大丹波王国論のうねりを
大丹波王国とはどの範囲か
対談宮津市長 天橋立宮津を聖地に
心の故郷・魂に美味しい丹後
卑弥呼も食べた?
彦火明神が降臨した冠島
彦火明神が降臨した冠島
真ん中が立神岩
(写真家・坂根正喜氏撮影)
第2号 天のかけはし
2015年10月1日発行
ご挨拶 天孫降臨の島
丹後の血脈に生まれた倭姫命 伴とし子
天照大神の巡行と吉佐宮
倭姫宮にお参りして 顧問 岡茂夫氏
会員の広場 白須秀樹氏
対談京丹後市長新シルクロードスタート
心の故郷・魂に美味しい丹後
卑弥呼も食べた?
冠島から昇る神々しい朝日
火明命が降臨した冠島から
昇る神々しい朝日
(写真提供:斉藤清己氏)
第3号 天のかけはし
2016年1月1日発行
ご挨拶 言霊の幸ふ国
論説 皇學館大學教授 白山芳太郎氏
先代旧事本紀をもとに記述する神皇正統記
会員の広場 野村しづかず氏
天孫降臨と火明命
対談 山添与謝野町長
心の故郷・魂に美味しい丹後
卑弥呼も食べた?
京丹後市丹後町徳光 桃の花の園
桃の花の園
京丹後市丹後町徳光
(坂根正喜氏撮影)
第4号 天のかけはし
2016年5月1日発行
ご挨拶 中今(なかいま)
論説 皇學館大學教授 白山芳太郎氏
先代旧事本紀をもとに記述する神皇正統記
心の故郷・魂に美味しい丹後
ヤマトを創った丹後海人族伴とし子
対談 吉本秀樹伊根町長
研究ノート羽渕徹氏
卑弥呼も食べた?
白いカモメがゆうゆうと飛ぶ伊根の舟屋
白いカモメがゆうゆうと
飛ぶ伊根の舟屋
(重要伝統的建造物群保存地区)
第5号 天のかけはし
2016年9月1日発行
ご挨拶 旺盛な好奇心と情熱を
論説 龍谷大学名誉教授 小寺慶昭氏
籠神社の参道狛犬
ヒルコはなぜ流されたか 伴とし子
対談 京丹後市 三崎政直市長
研究ノート 御肇国天皇 佐藤和代氏
研究ノート 稲の伝播について関戸容夫氏
卑弥呼も食べた?
冠島に昇る朝日と光の環
冠島に昇る朝日と光の環
第6号 天のかけはし
2017年1月1日発行
ご挨拶 信じる力は
論説 古代丹後王国の旅 工学博士 長野正孝氏
古代水軍の長 健振熊宿袮 伴とし子
研究ノート「導水施設」から見た丹後王国とヤマト政権との関係について 三浦 到氏
ひろば 研究会・講演会の報告
卑弥呼も食べた?
白いカモメがゆうゆうと飛ぶ伊根の舟屋
獅子先崎稲荷神社(宮津市)
(写真家・坂根正喜氏撮影)
第7号 天のかけはし
2017年6月1日発行
ご挨拶 『古事記』にみえる植物
論説 大丹波王国~ヤマトも畏れた北の大国 元京都府立丹後郷土資料館学芸員 奥村清一郎氏
市邊押磐皇子と二皇子逃亡伝承 伴とし子
研究ノート 万葉集から歴史を読む 中島 紀氏
ひろば 丹後王国についての所見 宮﨑直之氏
研究ノート 稲の伝播について 関戸容夫氏
卑弥呼も食べた?
伊根湾を上空より
伊根湾を上空より
(坂根正喜氏 空撮)
第8号 天のかけはし
2017年9月1日発行
ご挨拶『マイフェアレディ』のテーマとは
論説 卑弥呼の装いに思う
天理大学非常勤講師 酒野晶子氏
皇后、妃となった丹後の姫 伴とし子
研究ノート 大丹波王国の中核か 野村 しづかず氏
卑弥呼も食べた?
研究会のお知らせ 10月21日(土)
歴史伝説ウォーク 10月22日(日)

神谷神社の磐座
神谷神社の磐座
(京丹後市久美浜町)
第9号 天のかけはし
2018年1月1日発行
ご挨拶 「丹波道主命の伝承が濃厚に残る久美浜」
論説 ニソの森とニジュウソウ 
民俗学者 金田久璋
海人水軍の郷 久美浜 伴とし子
第三回古代丹波歴史研究所研究会の報告 研
究ノート 遥かなる吉備 藤田泰弘
卑弥呼も食べた?
伊根 舟屋の春
伊根 舟屋の春
(坂根正喜氏 撮影)
第10号 天のかけはし
2018年4月10日発行
ご挨拶 「灯る火の守り人として」
論説 神話考旅立つものとどまるもの
吉野健一 
但馬とアメノヒボコと神宝 伴とし子
ひろば 座談樂会のお知らせ
ひろば 古代史は知的挑戦
研究ノート ハシとクシ考 杉本寛
研究ノート 丹後王国と蘇我氏との関連性 宮崎直之
卑弥呼も食べた?
鬼が封じ込められた伝承をもつ立岩(京丹後市丹後町間人)
鬼が封じ込められた伝承をもつ立岩
(京丹後市丹後町間人)
第11号 天のかけはし
2018年8月10日発行
ご挨拶 「伝承の掘り起こしから歴史の真実に迫る」
伝承から五世紀の謎に迫る 伴とし子 
「万葉集から歴史を読む」中島 紀
「比治の真名井の神と風土記」 坪倉慧二郎
「丹後から近江への鉄の道」 野村しづかず
ひろば 第2回 座談欒会のご報告
卑弥呼も食べた?
宗雲寺 (京丹後市久美浜町)
宗雲寺 (京丹後市久美浜町)
第12号 天のかけはし
2019年1月1日発行
ご挨拶 「歴史研究は、果てしない鉱山にはいっていき、あるともないともわからない鉱脈を掘り出すような作業である」
論説 想像の丹後半島 千田 稔
足洗井戸と降臨伝承 伴とし子
ひろば 研究会等のご報告
<研究ノート>
(1)丹後王国について 宮﨑直之
(2)古事記は天御中主神を隠している 伊敷 豊
(3)与謝野町香河に伝わる小萩姫伝説 小塚敏郎
卑弥呼も食べた?
あじさいとトンボ(東近江市 宮荘川)
あじさいとトンボ
(東近江市 宮荘川)
(川合雅美氏 撮影)
第13号 天のかけはし
2019年4月10日発行
ご挨拶 「女性の力」
論説 丹後の三大古墳とヤマト政権 塚口義信
丹波にいたヒカトベの子と元出雲 伴とし子 
<研究ノート>
(1)軽矢と穴穂矢 齋藤喜一
(2)歴史散策記 宮﨑直之
(3)宮津藩から日本史を学ぶ 羽渕 徹
ひろば 研究会等のご報告
卑弥呼も食べた?
間人皇后と聖徳太子親子像
間人皇后と聖徳太子親子像
(京丹後市間人)
第14号 天のかけはし
2019年8月10日発行
ご挨拶 「令和元年を迎えて」
論説 かぐや姫は丹後竹野姫の曾孫~竹取物語の謎に迫る 伴とし子
<研究ノート>
(1)日中韓文献比較から考える 工藤洋一
(2)雑感 三冨義圓
(3)入り婿の事例と指標となる鉄器 白須秀樹
ひろば 研究会等のご報告
卑弥呼も食べた?
令和の日の出
令和の日の出
(東近江市)
(田中喜代子氏 撮影)
第15号 天のかけはし
2020年1月1日発行
ご挨拶 「歴史の中の人々の情熱と共に」
論説 国のまほろば丹後考 小路田泰直
聖徳太子と間人后と小兄比売 伴とし子 
<研究ノート>
(1)浦島伝説の裏側~「龍宮にいちばん近い丹後」(伴とし子 著)を読んで~ 佐藤和代
(2)古代丹波と近江をつなぐ「人」 野村しづかず
(3)謎 久次岳を探る 杉本 寛
ひろば 研究会等のご報告
卑弥呼も食べた?
間人の城島と桜
間人の城島と桜
(舞鶴市)
(坂根正喜氏 撮影)
第16号 天のかけはし
2020年5月20日発行
ご挨拶 「おのごろ島伝承がよみがえる」
論説 神の里 熊野考 伴とし子
<研究ノート>
(1)神の名を冠する天皇 山崎秀人
(2)万葉から歴史を読む額田王は誰か 中島紀
ひろば 取材ツアー・講演会ご報告
卑弥呼も食べた?
成相寺
成相寺
(宮津市)
(伴とし子 撮影)
第17号 天のかけはし
2021年1月1日発行
ご挨拶 「さあ、今、何ができる。今だ。」
論説 タニハが日本を生んだ 歴史作家 関裕二
熊野のルーツは丹後 タニハは日本建国始まりの地 伴とし子 
<研究ノート>
(1)大国主命はタニハの神 佐藤洋太
(2)藤原不比等 伊敷豊
ひろば 研究会の報告・講演会ご報告ほか
卑弥呼も食べた?「お食事処 油屋」
京丹後市久美浜の夕景
京丹後市久美浜の夕景
(与謝野町)
(坂根一弘氏 撮影)
第18号 天のかけはし
2021年7月21日発行
ご挨拶 「作家、タニハに注目、感謝」
論説 卑弥呼と邪馬台国 伴 とし子
<研究ノート>
(1)阿蘇海周辺を探る 杉本 寛
(2)黄金の大刀我が国で製造 丹後王国のレガリア 伴 とし子
ひろば 研究会のお知らせ・講演会報告・ユーチューブ発信中
大丹波王国の卑弥呼ソング完成
卑弥呼も食べた?「THE・SPICE」
丹後大仏
丹後大仏
(伊根町)
(伴とし子 撮影)
第19号 天のかけはし
2022年1月1日発行
ご挨拶 「消滅地名 丹後の「熊野」を後世に」
論説 スサノヲのふるさとはタニハ 伴 とし子
<研究ノート>
丹後大仏の由来 小塚 敏郎
第七回 研究会のご報告
ひろば 大丹波王国の国家作成・ユーチューブ発信中・講演会のご報告など・ACT4に掲載されました
令和3年の活動記録略記
卑弥呼も食べた?和食処「二反田」
第8回研究会集合写真
第8回研究会集合写真
(みやづ歴史の館)
(斎藤喜一様 撮影)
第20号 天のかけはし
2022年7月1日発行
ご挨拶 「古代史最前線、研究会ありがとうございました」
報告 大丹波王国祭り 伴 とし子
藤原不比等大罪 伊敷 豊
初代天皇の故郷は丹後 佐藤 洋太
応神名前替え伝承の意味 伴 とし子
向こう側の世界から 水野 健一
若狭湾における古代海神への投供 濱中 雄一
ひろば 研究会や講演会のご報告
卑弥呼も食べた?イタリアンレストラン「アン・ソン・ベニール」
丹後大仏
透光耳(大浦勝鬨)様の磐笛奉納
須津彦神社
(宮津市)
第21号 天のかけはし
2023年1月1日発行
ご挨拶 「須津彦神社から見える古代」
丹後最古の寺 俵野廃寺 伴 とし子
大和大王家の姓と柿本人麻呂の歌 中島紀氏
常世島 杉本寛氏
丹後紀行 山口真司氏
ひろば 講演の記録
哀悼と感謝をこめて 伴とし子
令和4年活動記録
卑弥呼も食べた?「友夢想屋」
天満神社
久美浜町市野々(いちのの)の天満神社
(京丹後市)
第22号 天のかけはし
2023年6月1日発行
ご挨拶 「世界に日本が輝く時、夢を信じたものが輝く」
日本と日本語の起源について―記紀からの視点に立って― 石田天祐氏
第9回研究会のお知らせ 講演者紹介
論説 謎の岡益石堂を訪ねて 奥谷浩一氏
文化庁の京都移転と京丹後市の「歴史文化都市宣言」 富貴 高司氏
久美浜 市野々の菖蒲田植え歌 伴とし子
ひろば 新刊『連鎖』小杉健治氏 紹介
卑弥呼も食べた?「みつばち」
編集後記 俵野廃寺跡の碑を!

研究会・講演会のお知らせ

会員でつくる!
古代丹波歴史研究所10周年記念誌「天のかけはし」(仮題)
会員の皆さまの作品募集中です! エネルギーに満ちたものに!

来たる2024年は、当会発足10周年を迎えます。
先般、お知らせさせていただいたとおり、
会員の皆様の論考・エッセイ・作品を一冊の本にしたいと思います。
いま、徐々に原稿が届いております。
皆さまの思いを活字にして、エネルギーに満ちたものにしたいと思います。
締め切り2023年12月20日!!
是非、お寄せください。

  古代丹波歴史研究所長 伴 とし子
古代丹波研究会
古代丹波歴史研究所 所長
古代史研究家
Toshiko Ban
伴 とし子
オフィシャルサイト
Official Site
Facebook
Toshiko Ban’s Profile
伴 とし子 プロフィール
京都府京丹後市に生まれる。滋賀県近江八幡市に在住。大谷大学文学部文学科卒業。佛教大学史学科博物館学芸員課程修了。伝説、歴史の研究に取り組み、大丹波王国論(丹後王国論)を展開する。中学校講師、東近江行政組合勤務後、古代丹波歴史研究所設立。現在、和久傳ノ森 森の中の家安野光雅館副館長。
所属

日本ペンクラブ会員
京都地名研究会会員
全国邪馬台国連絡協議会会員 
伴 とし子 プロフィール
Toshiko Ban’s Book
著書
最 新 刊
卑弥呼の真実に迫る 京都丹後に謎解きの鍵 伴とし子著
2016年11月出版
卑弥呼の真実に迫る
京都丹後に謎解きの鍵
丹後、丹波、但馬を中心に、若狭、山城、近江、難波、大和、更にその周辺にまで勢力を広げた大丹波王国。系図に残された日女命とは誰か?今なお謎を秘めた邪馬台国女王卑弥呼は、海人族集団のリーダーとして君臨した大丹波王国の女王と同一人物か? 系図が示す驚くべき内容が今、明らかに!

明窓出版  四六版・224頁 定価 本体1,800円+税
amazonで購入
『卑弥呼と邪馬台国』 伴 とし子共著(テレビせとうち)
卑弥呼と邪馬台国
平成26年 共著(テレビせとうち)
邪馬台国とはどこか。大丹波王国説を論じた、共著。
『丹後王国物語』の「まんが丹後王国物語」 丹後建国1300年記念事業実行委員会編 伴とし子著
『丹後王国物語』の「まんが丹後王国物語」
平成25年 丹後建国1300年記念事業実行委員会編
まんがであらわした丹後王国の物語。歴史が『楽しくわかりやすく』理解できる。考古学遺跡や遺物、文献資料も豊富。
『応神と仁徳に隠された海人族の真相』 伴とし子著
応神と仁徳に隠された海人族の真相
平成24年 新人物往来社
応神と仁徳の事績と年代を分析し、海人族の歴史に迫る。
『ヤマト政権誕生と大丹波王国』 伴とし子著
ヤマト政権誕生と大丹波王国
平成23年 新人物往来社
丹後の古代史は「古事記」「日本書紀」の定説を覆す驚愕の内容だった。
『卑弥呼の孫トヨはアマテラスだった』 伴 とし子著
卑弥呼の孫トヨはアマテラスだった
平成19年 明窓出版
元伊勢の謎に挑む。アマテラスとはだれか。アマテラスが祀った神とは。最高神とは。渾身の意欲作。
『前ヤマトを創った大丹波王国』 伴 とし子著
前ヤマトを創った大丹波王国
平成16年 新人物往来社
古代史の再構築に挑む。前ヤマトを創ったのが大丹波王国だった。 卑弥呼、二つの天孫降臨、古代史の謎を解く鍵を私は握っている。
『古代丹後王国は、あった』 伴 とし子著
古代丹後王国は、あった
平成10年 東京経済
多くの伝説と遺跡からの推理。古代丹後王国があったことを証明した衝撃の書。
『龍宮にいちばん近い丹後』 伴 とし子著
龍宮にいちばん近い丹後
平成2年
浦嶋伝説のふるさと丹後には、2つの浦嶋伝説があり、浦嶋の系図も残されている。ロマンあふれる伝説地を紹介する。
『網野の浦嶋伝説』 網野町文化保存会 伴とし子
網野の浦嶋伝説
昭和55年 網野町文化保存会
文献学的には日本最古の浦嶋伝説の発祥の地丹後には、伊根の宇良神社と網野の浦島伝説と2か所の伝承地がある。なぜ2か所につたえられるのか、わかりやすくたどる。
Photo Album
フォトアルバム
伴とし子フォトアルバム
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伴 とし子
丹後最古、俵野廃寺跡の看板立ちました、次は「碑」を。
令和6年4月17日

丹後最古といわれる七世紀後半に創建された「俵野廃寺跡」は、京丹後市網野町俵野にあります。礎石調査の専門家岩井隆二氏により、白鳳~奈良時代初期(六五〇~七二〇年頃)とされます。『俵野の歴史』(俵野区発行)によると、大正2年に、俵野の耕地整理組合の事業として、俵野川の改修工事がおこなわれ、通称「塔ノ坪」といわれるところから丸木柱の根部5本、柱の心礎となった大石、軒丸瓦、軒平瓦、鬼瓦、須恵器など多数出てきました。鬼瓦には人面のようなものがみえ、軒丸瓦(1式)は、複弁八葉蓮華文、縁に三本一組の鋸歯文が入るもの。また、軒丸瓦(2式)は、七葉の花弁の文様で近畿北部にも同系列のものはなく珍しいものといわれます。大石は、直径約180㎝、厚さ58㎝。ほぼ円形の自然石の上面が平らに削られ、中央に径15~16㎝、深さ16㎝の円筒状の穴があけてあったとのこと。俵野廃寺は古代丹後の繁栄を伝えてくれる重要なものです。

隣接する京丹後市久美浜町には、六世紀後半の湯舟坂2号墳があり、ここから金銅装双龍環頭大刀が出土。同時に須恵器の皿や壷など仏教文化を伝える遺物が大量に出土しました。仏教文化が早くに流入したことを告げる遺跡であり、俵野村に大寺が築かれたのもうなづけます。

また、近隣には、縄文時代の浜詰遺跡、松ヶ崎遺跡、新の王莽の時代の「貨泉」が出土した箱石浜遺跡があります。また、不老長寿の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)(橘)を持ち帰った田道間守の伝承が残り、木津の函石浜の清水岩のところは、田道間守が帰ってきた浜。木津の下和田の売布神社は、田道間守が無事の帰還を感謝し祭壇を設けたところ。浜詰の志布比神社は天日槍の伝承が残ります。

このたび、その遺跡地である京丹後市網野町俵野区に俵野区の方の協力を得て、説明看板を立てることができましたので、ぜひ見に来てください。そして、次は「碑」の建立にむけて進んでいます。丹後最古の寺があったところです。よろしくお願いいたします。

丹後最古、俵野廃寺跡の看板立ちました、次は「碑」を

古代タニハに倭国の源流を見る。渡りあう人々の尊い歴史がある。
令和6年1月27日

12月3日、但馬文教府において、「但馬に歴史を解く鍵」と題し、講演させていただきました。

但馬はいつから。但馬に残されたあわびの伝説や有馬皇子の生存伝承などは興味深い。

アメノヒボコ一族は、渡来人という言葉では言い尽くせない。

倭国から行き、交流し、交易し、住み、定住、往来し、渡りあう人々の観点が必要とお話させていただきました。

但馬がこれからさらに輝きますように。

主催いただいた但馬ヒストリアの西賀さん、ありがとうございました。

佐藤洋太さんは講演「天日槍命と二つの王家」。そして新著発刊、おめでとうございます。

講演後は、五荘小学校の金管バンドの皆さまの演奏をとても楽しませていただきました。

ご来場いただいた皆様ありがとうございました。

古代タニハに倭国の源流を見る。渡りあう人々の尊い歴史がある。


与謝の魅力を語る 講演会
令和5年11月19日

「与謝の魅力を語る」と題して、11月19日、旧加悦町役場でちりめん街道を守る会の主催、与謝野町観光協会協力で講演会をさせていただきました。

丹後といえば丹後ちりめん、そのもとをさぐれば、弥生後期、絹の文化をすでに持っていた丹後。阿知使主のこと、絹織物に関する神社、神々、豊かな伝説。そして、丹後初の王墓とされる日吉ヶ丘遺跡、ガラスと鉄の王国を象徴する大風呂墳墓の存在。

与謝とはどういう意味か。入鹿伏に秘められた豪族たちの盛衰。そして、丹後を心の故郷とした与謝蕪村。また、情熱歌人与謝野子と鉄幹。さらに「大丹波王国論」まで。

私自身もワクワクしながらもりだくさんのお話をさせていただきました。多くの皆様にご参加いただきありがとうございました。

与謝の魅力を語る 講演会


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