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伴 とし子
古代丹波歴史研究所
所長 伴 とし子
吉翠苑にて「知るを楽しむ会」で講演させていただきました
令和7年4月7日

「知るを楽しむ会」にお招きいただき、丹後の古代史を中心にお話合いさせて頂きました。

京丹後の明るく素敵な女将さんたち、丹後が気になってしかたがないという屋久島からこられた魅力あふれる方々と共に、熱いひととき。

歴史を知り、平和な世界を希求しました。弥栄。

吉翠苑にて「知るを楽しむ会」で講演させていただきました
「伴とし子氏を足掛かりに考える」古荘氏読書会開催
令和7年1月12日

明けましておめでとうございます。

ユーチューバーの古荘英雄さんから連絡がありました。

以下の通り、ライブ配信されます。

良かったら、聞いてください。

ライブ配信 1/12の21時~

今回は伴とし子さんの著作を見ながら 古代タニハとはどんな世界か、そして大和や邪馬台国とどう絡むのだろうか?みたいなことを考えます。

【古代史本オンライン読書会】伴とし子氏を足掛かりに考える|古代大丹波王国 大和王権 邪馬台国 鍵は天火明命と海部氏系図と元伊勢神社

第10回大丹波王国祭り
令和6年9月7日

今年も北海道、青森から九州まで全国からみやづ歴史の館にご参集いただきました。佐々木泰造様、野村しづかず様、冨貴高司様、そして、私、伴が講演。

私は俵野廃寺の謎に迫り、「丹」について言及。タニハ、丹後の重要性について語りました。

ありがとうございました。


丹後最古 俵野廃寺跡の碑、除幕式

丹後最古 俵野廃寺跡の碑、除幕式
令和6年8月4日

丹後最古 飛鳥時代創建の俵野廃寺跡の碑が俵野区ふれあい広場(フルーツラインのそば)に完成し、8月4日、無事、除幕式を終えました。

京丹後市中山市長様をはじめ俵野区の皆さんやご参会いただきました皆様、暑いなか、本当にありがとうございました。

俵野に残る丹池(勝田池)の大蛇伝承はなぜあるのか、丹池と網野の郷にある丹生池、久美浜町海士の元赤池は、水底がつながっているという不思議な伝承は何故あるのか。

こうした疑問に答えてくれるのは、「丹」であろう。

丹後最古の寺があった俵野。是非、お立ちよりください。


丹後最古 俵野廃寺跡の碑、除幕式

丹後最古 俵野廃寺跡の碑、除幕式
(毎日新聞 8月6日)

丹後最古 飛鳥時代創建の俵野廃寺の碑が完成
令和6年7月31日

日時:令和6年8月4日(日)12時

場所:京丹後市網野町俵野 俵野区ふれあい広場

丹後最古 飛鳥時代創建の俵野廃寺の碑が完成しました。

8月4日(日)12時から、除幕式を行います。

俵野区の皆様、古代丹波歴史研究所の方々、広く応援下さった皆様のおかげです。

ありがとうございました。

よろしければ、「俵野区ふれあい広場」にお越しください。

また、丹後に来られたら、ぜひお立ち寄りください。


丹後最古 飛鳥時代創建の俵野廃寺の碑が完成

第29回「細川護熙 美の世界」展示
令和6年5月25日

会期:2024年6月12日(水)〜9月2日(月)

細川護熙氏の美の究極、平和への祈り、そして初公開の墨書を展示いたします。

細川幽斎、忠興は丹後の城主、その妻玉ことガラシャ夫人は、京丹後市の味土野に隠 棲された伝承もあり、細川家は丹後に深いゆかりがあります。

今回、元内閣総理大臣である細川家当主細川護熙氏の作品を展示します。

風格の水墨画、漆絵、平和への祈りを込めた油絵「百鬼蛮行ー私 のゲルニカー」、今回、書き下ろし初公開の墨書には、静謐な細川氏の思いが込められたものです。

また陶芸作品など多岐にわたる細川氏の芸術活動、「美の世界」をご鑑賞ください。

同時展示の安野光雅の「阿修羅像」や心を癒してくれる水彩画などゆっくりお愉しみください。


第29回「細川護熙 美の世界」展示

「天のかけはし -倭国の源流タニハ-」古代丹波歴史研究所10周年記念誌 発刊しました!
令和6年5月1日

古代丹波歴史研究所10周年記念誌「天のかけはし -倭国の源流タニハ-」発刊しました!
発 行  古代丹波歴史研究所 所長 伴 とし子
定 価  1650円(税込)
京丹後市のまるぜん書店野田川店、マイン店で販売中です。

~はたして、武力だけで国は治まるであろうか。否、心を統治しなければ国は治まらない。
ここに、丹後の祖神豊受大神の偉大さがある。~

★倭国の源流はタニハ(丹後、但馬、丹波)。
★その中心勢力があった古代丹後。
伝説、文献、遺跡、国宝海部氏系図を読み解き、大丹波王国論をかかげる。
★従来の古代史の常識にとらわれず、幅広いさまざまな視点から鋭く深く探求した26名の論考。
言語学者石田天祐氏は「日本と日本語の起源について」、札幌学院大学元学長奥谷浩一氏は「古代ユーラシア文化と朝鮮・日本」。
ほか工藤洋一氏、熊谷久美子氏、小鯛史朗氏、小塚敏郎氏、西賀真紀氏、佐藤和代氏、佐藤洋太氏、志本哲氏、関戸容夫氏、髙橋千春氏、髙橋司氏、高見友幸氏、天野眞名井氏、中島紀氏、野村しづかず氏、羽渕徹氏、濵中雄一氏、伴とし子、平田修吾氏、廣田祐次氏、冨貴高司氏、水野健一氏、宮﨑直之氏、山口眞司氏。
★系図分析、遺跡、ⅮNA、文献、伝承、考古学等から論じる。
★古代史解明の鍵握るタニハ、倭国の源流はタニハである。

「天のかけはし -倭国の源流タニハ-」古代丹波歴史研究所10周年記念誌 発刊しました!

丹後最古、俵野廃寺跡の看板立ちました、次は「碑」を。
令和6年4月17日

丹後最古といわれる七世紀後半に創建された「俵野廃寺跡」は、京丹後市網野町俵野にあります。礎石調査の専門家岩井隆二氏により、白鳳~奈良時代初期(六五〇~七二〇年頃)とされます。『俵野の歴史』(俵野区発行)によると、大正2年に、俵野の耕地整理組合の事業として、俵野川の改修工事がおこなわれ、通称「塔ノ坪」といわれるところから丸木柱の根部5本、柱の心礎となった大石、軒丸瓦、軒平瓦、鬼瓦、須恵器など多数出てきました。鬼瓦には人面のようなものがみえ、軒丸瓦(1式)は、複弁八葉蓮華文、縁に三本一組の鋸歯文が入るもの。また、軒丸瓦(2式)は、七葉の花弁の文様で近畿北部にも同系列のものはなく珍しいものといわれます。大石は、直径約180㎝、厚さ58㎝。ほぼ円形の自然石の上面が平らに削られ、中央に径15~16㎝、深さ16㎝の円筒状の穴があけてあったとのこと。俵野廃寺は古代丹後の繁栄を伝えてくれる重要なものです。

隣接する京丹後市久美浜町には、六世紀後半の湯舟坂2号墳があり、ここから金銅装双龍環頭大刀が出土。同時に須恵器の皿や壷など仏教文化を伝える遺物が大量に出土しました。仏教文化が早くに流入したことを告げる遺跡であり、俵野村に大寺が築かれたのもうなづけます。

また、近隣には、縄文時代の浜詰遺跡、松ヶ崎遺跡、新の王莽の時代の「貨泉」が出土した箱石浜遺跡があります。また、不老長寿の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)(橘)を持ち帰った田道間守の伝承が残り、木津の函石浜の清水岩のところは、田道間守が帰ってきた浜。木津の下和田の売布神社は、田道間守が無事の帰還を感謝し祭壇を設けたところ。浜詰の志布比神社は天日槍の伝承が残ります。

このたび、その遺跡地である京丹後市網野町俵野区に俵野区の方の協力を得て、説明看板を立てることができましたので、ぜひ見に来てください。そして、次は「碑」の建立にむけて進んでいます。丹後最古の寺があったところです。よろしくお願いいたします。

丹後最古、俵野廃寺跡の看板立ちました、次は「碑」を

古代タニハに倭国の源流を見る。渡りあう人々の尊い歴史がある。
令和6年1月27日

12月3日、但馬文教府において、「但馬に歴史を解く鍵」と題し、講演させていただきました。

但馬はいつから。但馬に残されたあわびの伝説や有馬皇子の生存伝承などは興味深い。

アメノヒボコ一族は、渡来人という言葉では言い尽くせない。

倭国から行き、交流し、交易し、住み、定住、往来し、渡りあう人々の観点が必要とお話させていただきました。

但馬がこれからさらに輝きますように。

主催いただいた但馬ヒストリアの西賀さん、ありがとうございました。

佐藤洋太さんは講演「天日槍命と二つの王家」。そして新著発刊、おめでとうございます。

講演後は、五荘小学校の金管バンドの皆さまの演奏をとても楽しませていただきました。

ご来場いただいた皆様ありがとうございました。

古代タニハに倭国の源流を見る。渡りあう人々の尊い歴史がある。



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