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伴 とし子
古代丹波歴史研究所
所長 伴 とし子
京都山科で「卑弥呼と海人族」の講演
平成29年5月10日

みなさん、こんにちは。去5月10日には、アスニー山科で講演をさせていただきました。約300名の方に聞いていただき、感謝です。テーマは、「卑弥呼と海人族」。

卑弥呼はどのように魏志倭人伝に書かれているのでしょうか。そこから浮かび上がる卑弥呼とは、どのような人物でしょうか。

古代、弥生後期に活躍した卑弥呼という女性は、倭国の女王として活躍しており、魏の国に、海を渡って朝貢しています。

古代に強力な力をもち、海を渡る技術にも優れていたのは、海人族であるとしたら卑弥呼もそうした一族に支えられていたのではないでしょうか。つまり、海人族ではなかっただろうか、と考えます。

  1. 卑弥呼とは、海人族ではなかったか。
  2. 卑弥呼がいたのは、どこか、それは、各説あります。
    しかし、卑弥呼を支えた海人族は、日本海沿岸に根拠地をもっていたのではないか。
  3. ここに、古代、海人族が勢力をもち、ここに、古代日本をリードした大丹波王国、丹後王国があったのではないか。
  4. そして、その王国は、多くの地域国家の中でも特別の王国、際立った王国であったこと。

こういったことを、海幸山幸神話や文献や伝説や遺跡などから探ってきたことをお話しさせていただきました。

海部郷は全国に広がってあります。

そのなかのひとつである丹後の京丹後市久美浜は、今も「海士」という地名が残る海部郷のひとつです。ここは、金銅装の黄金の大刀が出土した湯舟坂2号墳があるところで、近くの箱石浜からは貨泉が出土しています。また、垂仁天皇の皇后となったひばす姫の母、川上麻須郎女の里であり、丹波道主命の伝承が多く残るところです。海部水軍の根拠地があったところで、かつては、日本海沿岸の海人族が、丹後の海人族が大きな力をもっていたのではないでしょうか。

地方の活性化と日本再生
平成29年3月10日

先日、Mさんから送っていただいた資料のなかに「日本海スタイル」という言葉があった。これは地方新聞6社(東奥日報社、秋田魁新報社、新潟日報社、福井新聞社、神戸新聞社、山陰中央新報社)と7県(青森、秋田、新潟、福井、兵庫、鳥取、島根)が参加して、連携して日本海沿岸の魅力を掘り起こし発信するのがねらいとある。残念ながら、京都府は参加していないようだ。

京都府といえば、世界に通じるみやびやかな「京都」のイメージが勝ち、京都府に海があることを知らない人もあるらしい。日本海沿岸、京都府の丹後半島には、美しい海と森、美味しい魚に里ではわらびやふきのとうが顔を出し、新鮮な海の幸と山の幸ではどこにも負けないと思える。伝説と古代遺跡の宝庫であり、伝統的な祭りが残る。まさしく「日本の原風景」はここにあるといえる。

東京に住む私の友人は、食物など地方産の銘柄に注目して購入いると語った。地方の活性化には、地方の人口の増が必要であり、それには、雇用の場所がいる。地方に新産業がもたらされなければならない。その思いで邁進される素晴らしい企業もある。

「再び日本海地域に光を」。この言葉には、一緒になってエールをおくりたい。地方活性化してこそ、これからの日本の再生があるということだから。

卑弥呼のディナー
平成29年2月23日

『魏志倭人伝』に、弥生時代ころの樹木の様子を記している。そこには、くすのきやどんぐりの木、くむぎやかしやかえでがあったことが書かれている。

また、「薑(きょう)、橘、椒(しょう)、蘘荷(じょうか)あるも、もって滋味となすを知らず」とある。ここに書かれた薑とは、はじかみ、しょうがのことで、椒とはさんしょう、蘘荷とは、みょうがのことである。

「滋味」とは、「うまい味わい、滋養の多い食物」ということであるから、それを「知らず」とは、そのうまさを知らない、好まなかったということだ。

しょうが、さんしょう、みょうがは、香辛料として、今日でも欠かせないものであり、私も大好きなものであるが、これの美味しさをよく知らない、好まないとは残念である。

平成21年11月に、纏向遺跡から食物遺物が検出された。桜井市立埋蔵文化財センターにいくと当時出土したものを見ることができる。2000余個の桃の種出土。魚骨は、マダイ、ヘダイ、アジ、サバ、イワシ、コイ科の炭水魚。コイ、ウグイ、フナ。動物の骨イノシシ、ニホンジカ、カモ科の水鳥。ネズミ、リス、カエルの骨。植物種子 アワ、イネ、アサ、ヒメコウゾ、ウリ、ヒョウタン、ニワトコ、サルナシ等々である。

さて、卑弥呼が生きた時代は、弥生後期である。卑弥呼が生まれたのが何年かということはわかっていないが、倭国の大乱の後女王となり、亡くなったのは、249年ころとすると、『魏志倭人伝』に「年己(すで)に長大」と書かれているのもうなづける。

その長寿を支えたひとつが、食であろう。卑弥呼は何を食べていたのだろうか。

廣野 卓氏の『卑弥呼は何を食べていたか』によれば、主食には、コメ、アワを甑(こしき)で蒸した強飯(こわいい)や、土器でやわらかく炊いた堅粥(かたかゆ)(=ごはん)に、ときには、ムギ、キビ、マメを、混ぜる。また、鳥肉やタイの切り身と菜を混ぜた汁粥(しるかゆ)、雑炊にする。

また、<副食>には、魚介類のアワビは、焼いたり、塩ゆでしたものを細くさいて盛る。サザエは、焼いて殻のまま、盛り付ける。ハマグリは、塩ゆで。タイ、クロイオは、塩焼きにして姿のまま高坏に盛る。サバ、アジ、イワシは、塩焼きか、保存用に塩干物にする。海藻 ワカメ、アラメは、あつもの、酒醤であえる。

蔬菜類のダイコン、カブラの葉は塩ゆで、塩漬け。サトイモは、ゆでるか、炉の灰に埋めて焼き芋にする。ほかに、野の菜であるフキ、ヒシ、アザミ、ノビル、ヨモギ。アオイ。果物類には、モモ、カキ、ウメ、スモモ、タチバナ、クルミ、ヤマモモ、アンズ、アケビ、クリ。茸(キノコ)、菌(タケ)。酒は、噛み酒、果実酒とある。

健康のために食事に注意している人は多いと思うが、こう書きながら思いだすのは、玄米菜食という自然に即した食事法であるマクロビオティックである。穀物や野菜、海藻などを中心とした日本の伝統食をベースとした食事を摂ることにより、自然と調和をとりながら健康に暮らす、これが大事である。丹後のクロダイやワカメにノリ、こうしたものを食べると、身も心も元気になること、私も実証済みである。きれいな日本海と人々に感謝。

『魏志倭人伝』には、そういえば「人性酒を嗜(たしな)む」とあった。健康のために、適度に果実酒でもいただきながら、卑弥呼のディナーをおすすめしたい。

温かい心のつながりのなかで生きる
ウェブサイトを新しくしました!
平成29年2月吉日

日に日に春に向かうこの頃。陽の光は、心までやわらかくしてくれる。

先日、美容院にいった。美容院でのお気に入りは、頭のマッサージと、髪をトリートメントしてくれるときに、そっと首にあててくれる温かいタオルである。小さなことなのだが、抜群に癒される。

その美容師さんが何気に曰く、「僕たちがお客さんに、すごくきれいになりましたね、といくらたくさんいっても、オーナーが、一言、“きれいになった”というと、その一言の重みには、勝てませんね」という。その店を一から作り上げてきた人の言葉には、重みがある。ここに到るまで培ってきた人と人との信頼関係、業績、人生、自信、目標、願いなど強いものを秘めておられるから、どんな短い一言でも相手の心に届くのだと思う。また、オーナーへの尊敬心が、部下である人の口から自然にでてくるのを聞くのも嬉しい。

生きているというこのかけがえのない時間を私たちはいただいている。だからこそ、その時間を人と人との温かい信頼できる交流の中で生きていられること、このことは一番幸せなことである。リラックスして眠り、あたたかいタオルで身も心もゆっくりとゆったりとしながら、優しい気持ちでこれからも過ごしたい。それがあると、また次への元気が湧いてくる。

古代史探求の旅は、古代からの人々の心の歴史を探る旅でもある。先人たちの心を、他者のために国のために尽くそうとした心を知っていくことで、それを糧とし、誇りとし、次に伝えていきたい。

古代丹波歴史研究所は、ご覧のように、ウェブサイトを新しくしました。
新ウェブサイト:http: //kodai.holy.jp

また、研究所は、ご縁をいただき神社の境内のなかにおかせていただいておりましたが、契約も満ち移動させていただきました。

事務局は、近江八幡市本町三丁目16番地 古代丹波歴史研究所 FAX:0748-33-2556です。

新しいウェブサイトとともに、今後も、より良い発展に尽くしていきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

古代丹波歴史研究所 所長 伴 とし子


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