Blog 2018
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伴 とし子
古代丹波歴史研究所
所長 伴 とし子
第4回座談欒会(ザ・ダンランカイ)
小萩伝説と平安初期の仏教文化!
平成30年11月22日

平成30年11月20日(火)午後1時から4時30分まで、知遊館(京都府与謝郡与謝野町岩滝)で、第4回目の座談欒会を行いました。

今回は、小萩伝説について、杉本寛さまと小塚敏郎さまに、平安初期の政治と仏教文化について、羽渕徹様にお話いただきました。その後、だんらんをし、最後にみなで歌を歌いなごやかに閉会。

皆さま、ご参加ありがとうございました。

丹州与謝の女性は、淳和帝の次妃となり、後に、空海とのご縁をもちます。なぜ、空海が、丹後の女性とかかわりがあったのか。ここにも、丹後の秘密があると思えます。

折しも、その翌々日、久美浜の宗雲寺に参りましたところ、そこの山に金鉱跡地があることをみつけ、驚きました。空海も、宗雲寺の禅堂に祀られていました。丹後とのかかわりの一端が、静かに顕現。

ありがとうございました。

第4回座談欒会(ザ・ダンランカイ)小萩伝説と平安初期の仏教文化
全国の歴史研究者にエールを送られた「歴史研究」の吉成主幹、
実行委員会の皆さまに感動。
平成30年10月27日

去る平成30年10月27日に、東京の日本教育会館で、「歴史研究会創立60周年記念全国大祭」が開催されました。

全国歴史研究会は、1万7000人の会員を誇る組織で、その機関誌「歴史研究」の吉成勇主幹と実行委員会の皆さまは、60年にわたり、歴史研究をしてこられた全国の多くの研究者また、故人となられた方にも、また、会員外の研究者にも「歴史大賞」を授与。そのなかで、私も、地域歴史研究貢献部門ということでいただきました。

私が、何よりも感動しましたのは、こうした歴史の研究をひたすらに続けている多くの研究者に熱いエールを送ってくださいました吉成勇主幹と関係者の皆さまのお心です。

歴史の研究は、「長い長い孤独な旅」と友人がいいました。

この日、基調講演をされた選考委員長である所功先生も、「歴史研究は、果てしない鉱山にはいっていって、あるともないともわからない鉱脈を掘り出すような作業である」ことを述べられましたが、まさに、そうした長い旅を黙々と歩む多くの研究者たちに励ましをくださったものと思います。

そして、これは古代丹波歴史研究所にいただけたものと思っております。いろいろな皆さまとのご縁をいただき、ご協力をいただき、また、先人たちの思い、古代の人々の心が突き動かしてくれているようにも思います。

あの山の向こうには白い花が咲いている、そう信じる心だけがあるのだと、そんな気持ちでおります。

ありがとうございました。

歴史研究会創立60周年記念全国大祭
古代丹波歴史研究所の研究会の2日目は、歴史を探る遠足。
たくさんの笑顔、ありがとうございました。
平成30年9月23日

9月23日は、バスによる歴史遠足。京丹後市丹後町にある竹野神社は、旦波(たには)の大縣主ユゴリの娘、竹野姫が祀られています。開化天皇の妃となった女性です。たくさんのご参加と笑顔、本当にありがとうございました。

古代丹波歴史研究所 第4回 研究会 歴史散歩 伴とし子
今年も、奥深い丹後の歴史の魅力に迫る研究会。
2日目は、歴史を探る遠足。多数のご参加ありがとうございました。
平成30年9月23日

今年度の研究会は、堺女子短期大学名誉学長・名誉教授 塚口義信先生による、「丹後の三大古墳と大和政権」。丹後の考古学からわかることと、文献や伝承から導き出されることが一致してくるということで、丹後王国論者には、心強い講演をいただきました。

次に、元京丹後市立古代の里資料館長 三浦 到先生による「弥生時代の丹後」。遺跡や遺物から丹後の重要性を語っていただきました。

そして、わたくし伴とし子は、演題「伝承の力・勇者たちの古代史・大丹波王国」と題し、伝承と文献資料から、古代における日子坐王、日下部氏の重要性、勇者たちによる古代史があったことをお話しさせていただきました。

地元丹後の方はもとより、埼玉、東京、神奈川、奈良、淡路、滋賀、愛知県、兵庫、京都市、大阪等々、遠くから泊りがけで来ていただきました。深く感謝申し上げます。

古代日本の形成に、この丹後王国、大丹波王国がいかに重要であったかを確認しあえたかと思います。こうしたことを、少しでも多くの人に広げていきたい思いです。

2日目は、良い天候にめぐまれ、バスによる楽しい遠足。バスのなかでは、三浦先生の案内をいただきました。古代の里資料館、竹野神社、神明山古墳。記念撮影。昼食をとりながら、ここでは、柏原さまから間人の歴史のお話し。また、竹野神社の櫻井禰宜様にもお話を伺いました。また、午後からは、久美浜の齋宮大明神の祠に参拝し、野村さまからお話しを伺いました。その後、森の中の家安野光雅館に立ち寄り、安野先生の最新作「赤毛のアン」と「旅の絵本」を観賞しました。

たくさんのご参加本当にありがとうございました。

古代丹波歴史研究所 第4回 研究会 伴とし子


第3回座談欒会(ザ・ダンランカイ)
幕末から明治維新にかけての歴史に注目!
平成30年8月7日

平成30年8月7日(火)午後1時30分から4時30分まで、知遊館(京都府与謝郡与謝野町岩滝)で、第3回目の座談欒会を行いました。

今回は、大河ドラマでも放映中の幕末から明治維新にかけての歴史を学びたいと思いました。大きな歴史の流れを羽渕徹様に、また、そのころの知られざる宮津の歴史を杉本寛様にお話いただきました。

猛暑にくわえ、お盆前の忙しい時期でしたが、多くの方のご参加をいただき、うれしかったです。ありがとうございました。また、その準備にご協力いただいた皆さま、感謝です。みんなで、情報を共有すると、さらに新しい発見があったり、展開が生まれます。これからも、楽しく語り合いたいです。ありがとうございました。

伴とし子 第3回座談欒会


SKY大学の講演会にご参加ありがとうございました!
「5世紀の丹後の謎を追う」~二皇子伝承を中心に~と題して講演させていただきました
平成30年7月4日

平成30年7月4日(水)午後1時30分から講演させていただき、その後、語り合いの時間をいただきながら、伝承の重要性、古代丹後が古代日本の謎解きの鍵を握っているということを、お話させていただきました。

5世紀といえば、雄略天皇の時代。丹後では、浦嶋子が常世に行ったと伝えられ、丹後の祖神、豊受大神も伊勢に遷宮されています。

また、雄略天皇に殺された市辺皇子の子どもたちであるおけをけ二皇子が逃亡してきたという伝承が、麓神社、和江神社、すずひこ神社などなど沢山残されています。

そして、さらに、「古事記」には、大きな矛盾がありますが、そのことをどうとらえたらいいのか、一つの試論として提起させていただきました。

たくさんの皆様にご参加いただきありがとうございました。また、大阪京都方面からも全国邪馬台国連絡協議会の役員の皆様がかけつけてくださいました。 SKY大学の皆様には、ご準備から当日の進行からすべてたいへんなご助力をいただきました。心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

伴とし子 SKY大学


京都、アスニー山科にて講演させていただきました
平成30年5月11日

アスニー山科では、もう数年にわたり講演させていただく機会をいただき、今年も、5月9日(水)10時30分から12時まで講演。270名ほどの方々が聞いてくださいました。ありがとうございました。

今回のテーマは、「森の中の家安野光雅館と丹後歴史ロマン」。美術館の話と歴史の話です。

美術館は、世界の建築家安藤忠雄氏の設計によるもので、展示しているのは、世界を旅した画家安野光雅先生の多岐にわたる作品群です。

そして、その場所が、古代海部郷であり、強力な水軍がいたところ。また、第11代垂仁天皇の皇后となったヒバス姫の生まれたところで、日本のふるさとといえる場所です。ヒバス姫の父は、丹波道主命であり、数多くの伝承が残るところです。そして、この美術館のすぐそばには、伝説の「足洗井戸」があり、降臨伝承が残されているところです。

この伝承は、古代丹後王国、大丹波王国論を裏付けてくれる傍証となるものと考えます。

癒やしを得られる安野光雅先生の絵画が楽しめる美術館と古代歴史の鍵を握る土地です。

深い歴史を刻む大地、海人族が活躍した美しい海、小鳥たちが飛んでくる緑の森。そこにいるだけで不思議と元気がいただけるようなところをパワースポットというとしたら、ここは、まさにパワースポットといえます。

伴とし子 アスニー山科講演会


東京・日本橋三越にて
「森の中の家安野光雅館と丹後歴史ロマン」と題して
講演させていただきました
平成30年5月3日

平成30年5月3日(木・祝)午後2時から3時まで、日本橋三越の新館9階 カルチャーサロンにおいてトクショーをさせていただきました。

「和久傳のしごととあそび展」を5月2日から13日まで日本橋三越で催しをしています。

京丹後市にある和久傳の森に建てられた「森の中の家安野光雅館」の紹介と、その場所が、古代において大変重要な土地であったというお話をさせていただきました。ここは第11代垂仁天皇の皇后となったヒバス姫の生まれたところ。日本のふるさとといえる場所です。

美術と歴史をともに楽しめる場所として皆さまに是非おいでいただきたいと思います。

「森の中の家安野光雅館と丹後歴史ロマン」


第2回座談欒会(ザ・ダンランカイ)、杉本寛さん「すずひこ神社の謎」をテーマに
平成30年4月24日

平成30年4月17日(火)午後1時から4時30分まで、岩滝ふれあいセンター(京都府与謝郡与謝野町岩滝)で、第2回目の座談欒会を行いました。

総数50数名が集い、歴史や伝承の話に耳を傾けました。

そのあと、コーヒータイムをもちながら、自由に意見交換したり、質問したりしながら古代の世界を語り合いました。

埋もれている伝承や伝説などを、もっともっと広く拾い集めたい。

そのような思いから、今回は、宮津市須津の杉本寛さんの話を聞かせていただきました。

最初に、大浦勝鬨さんによる岩笛の音色に耳を澄ましました。

次に、私、伴のほうから、「足洗井戸の降臨伝承について」。

そして、杉本寛さんの「すずひこ神社の謎」。

宮津市須津にある須津彦神社には、去来穂別命(いざほわけのみこと)(後の第17代履中天皇)と皇后クロヒメが祀られています。ほかに、ハヤブサワケとメドリノキミが祀られ、恋の逃避行、悲恋伝承が残ります。そのことを語ってはならないかのように境内のなかに祀られる社の名は、宇多和津(うたわず)神社といいます。また、おけ、をけ二皇子も祀られており、ひっそりとした神社ですが、思いがけない古代の歴史伝承が多く残されているところです。

さらに、丹後と隠岐の島とが古代から交流があったことなどを論じていただきました。

第2回座談欒会(ザ・ダンランカイ)、杉本寛さん「すずひこ神社の謎」をテーマに


座談欒会(ザ・ダンランカイ)、輪になって楽しく歴史や伝承を語りましょう
平成30年3月12日

歴史の研究も、伝承の採集も、楽しくやりたいと思っています。

古代に日本海沿岸で強力な国として存在したのは、古代タニハ国、今の丹後、丹波、但馬、若狭に広がる国であり、近江、山城など周辺の国々も同族的な関係があったとみています。この古代タニハ国が重要なのは、それが、ヤマト政権の前史を担った勢力ではなかったかということ、すなわち、日本のふるさとといえるのではないかということを書き綴ってきました。

そこで、これから、もっと埋もれている伝承や伝説などを、広く拾い集め、それを皆で自由に語り合いながら、この説を補強できるものを知ったり、広めたりしたいと思いました。 皆さんで、家族のように団欒しながら、コーヒーやお菓子を食べながら、談話し楽しい時間をすごしたいと思ってはじめたのが、「座談欒会」です。

今回は、磯砂山の伝説を書かれた松本寅太郎さんの話を中心に聞かせていただきました。そして、話題は参加者のみなさんの多岐にわたる発言で、古代から中世、江戸時代や現代まで話は膨らみながら、喫茶「マウンテン」で30名近くがひとときを過ごしました。

また、次は、4月に行います。どなたでもご参加ください。

次回の「座談欒会」のお知らせ
日時:平成30年4月17日(火)午後1時から
場所:岩滝ふれあいセンター(京都府与謝郡与謝野町岩滝2272-1)
電話:0772-46-5556

研究会で遺跡や古代からの伝承地を皆でめぐりました

福寿草は、幸福と長寿を意味し、花ことばは、「幸せを招く」「永久の幸福」です。た


ともる火の守り人のひとりとして
平成30年1月20日

明けましておめでとうございます。

私の故郷は、京都府、丹後。

故郷には浦島や天女伝説があるが、なぜあの有名な伝説が丹後に2つともあるのだろうと幼い頃より心にずっと気にかかっていました。その疑問を解く糸口となったのは、大学で国文学の授業を受けたとき、私が京都府の丹後半島、網野からきたことを告げると、教授が「そこは浦島伝説のあるところですね」と即座に応答してくださったことに始まります。浦島の伝承地が丹後には伊根町と網野町の二カ所にありますが、それがどれほど大きな意味を持っているのか、当時の私にはまだ漠然とした思いでした。しかし、今思えばこれが私の人生の方向を定めてくれた瞬間であったといえます。そうして、24歳のときに、「網野の浦嶋伝説」の出版にいたりました。

そして、探れば探るほど、伝説の中にはとんでもない史実が隠されているという予感が、確信へと変わっていきました。

その確信を支えてくれたのは、考古学みたから遺跡のすごさであり、書き記された文献からであり、神社に残る秘された伝承からでした。

古代は日本海沿岸が表玄関であり、古代海人族の勢力が大きかったこと、ヤマト政権の基礎を作ったのも古代海人族であるという考えにたどり着き、平成10年に『古代丹後王国は、あった』(東京経済)を出版させていただき、以来、古代史探求の旅を今も続けています。そして、そうできたのは、伝説や歴史を探るなかで、いろいろな方々のお教えやご縁をいただけたおかげと思います。

なぜ、そうするのかを静かに自らに問いかけます。

この大丹波王国(丹後王国)の、隠された歴史を、消された歴史を綴り、繋いでいかなければならないのではないか。ささやかな、微力な存在である自分であることを自覚しつつも、この灯された火をつないでいく、火の守り人のひとりでありたいと、思うのです。

そして、そのような思いの人と連携し、その輪を広げられたらと思うのです。

今年もよろしくお願いいたします。(伴 とし子)

研究会で遺跡や古代からの伝承地を皆でめぐりました
研究会で遺跡や古代からの伝承地を皆でめぐりました

福寿草は、幸福と長寿を意味し、花ことばは、「幸せを招く」「永久の幸福」です。た
福寿草は、幸福と長寿を意味し、花ことばは、「幸せを招く」「永久の幸福」です。


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