Blog 2021
ブログ
伴 とし子
古代丹波歴史研究所
所長 伴 とし子
但馬の王の足跡をたどる旅
令和3年12月19日

但馬の古墳をめぐりました。

長者森古墳(福知山市夜久野町 6世紀後半)は、旧育英小学校の校庭にこんもりと。こんなところにという驚き。

迫間古墳群(兵庫県朝来市山東町迫間)歩くところみな古墳の上。草むらにわずかに古墳の入り口が開いている。ライトでなかをてらしてもらうと、あきらかにりっぱな石室がある。但馬の古墳はまだまだ未開発。

城(じょう)ノ山古墳(朝来市和田山町)は4世紀後半の大型円墳。なんと、古墳の下がトンネル。古墳の主さまも騒がしくて、眠っていられないのではないかと、あらぬ心配。城ノ山の王は、小見塚古墳に眠る王とともに、但馬を南北に二分して治める王として存在。その後、但馬を治める王の池田古墳が作られる。 池田古墳(朝来市和田山町平野)前方後円墳。5世紀前半。全長約141m。いま、その後円部などは現在畑となっている。

禁裡塚古墳(養父市)、楯縫古墳(豊岡市日高町鶴岡)。この地に眠る王者とはだれだったのだろうか。

このたびは、古墳のエキスパート坂根一弘さんにご案内いただき但馬の探訪。

兵庫県は、日本最多の古墳数1万8851基。2位鳥取県、1万3486基。3位 京都府、1万3016基。全国で、15万9636基。(平成28年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数 文化庁調べ)。

楯縫古墳は森のなかで石舞台古墳にも劣らぬ情緒と威厳。すがすがしい喜びを感じた。まだまだ未発掘の遺跡の眠る但馬の古代。大丹波王国のなかの但馬の古代の王たちに思いを馳せた感慨深い一日。ありがとうございました。

但馬の王の足跡をたどる旅

蘇れ、丹後王国ロマンを歌に。CD「卑弥呼の祈り永遠に」発売。
令和3年12月10日

蘇る丹後王国を祈り、CD「卑弥呼の祈り永遠に」を発売しました。

丹後王国論が一目でわかるブックレットを入れました。

丹後、タニハは日本建国はじまりの地、蘇る時、こんな思いを作詞。作曲は、丹後で活躍されるギタリストの山崎昭典さんが穏やかな音色で仕上げてくれました。古代丹波歴史研究会では、シャーマンシスターズが音合わせもなく、ぶっつけ本番で。ありがとうございました。CDのなかにいれたブックレットは12ページで、大丹波王国論が一目でわかるようにまとめました。淀徳書店様、まるぜん書店様は、拙著とともにCDをおいてくださいました。ありがとうございます。

 

蘇れ、丹後王国ロマンを歌に。CD「卑弥呼の祈り永遠に」発売。

蘇れ、丹後王国ロマンを歌に。CD「卑弥呼の祈り永遠に」発売。
追悼 海部光彦名誉宮司様の訃報に接し、心から哀悼の誠を捧げます。
令和3年11月17日

籠神社の第82代海部光彦名誉宮司が、2021年11月8日、91歳の生涯を閉じられました。

宮司様の刊行された『元伊勢籠神社の略誌と神道哲学』には、次のようにありました。「日本の古代の神秘の歴史の真実の中に、日本人としての真使命を悟り、また提示することができればこれに勝る喜びはありません」「人間は大をなした人だけが尊敬されるべきではないのです。たとえ小さくとも、その瞬間瞬間に、人生を真剣に行じた人こそ称えられるべきであり、人生は永遠に過程として存在し、過程の中に神を発見する人こそが、本当の信仰者と思われます」そして、常に、「日本の浄化と世界平和」を祈られてこられました。私も、古代史の再構築をめざし、伝説や考古学、文献等に注目しながら薫陶を賜りましたこと、深く感謝申し上げます。どうぞやすらかに。ありがとうございました。(伴 とし子)

追悼 海部光彦名誉宮司様の訃報に接し、心から哀悼の誠を捧げます。
子供たちに浦島伝説を
令和3年11月8日

文化庁と京都府、ヒカリ美術館の「未来に伝える次世代育み事業」で「浦島太郎と龍宮」について10月23日・24日とお話させていただきました。子供たちが描いた絵は、11月6日~8日に、浅茂川区民会館で展示。子供たちの心に浦島伝説とともにふるさとへの誇りが育っていくことを願いながら。

子供たちに浦島伝説を
第7回研究会盛況、皆様ありがとうございました
令和3年9月25日

古代丹波歴史研究所の第7回研究会を2021年9月25日に天橋立ホテルにて実施、無事終了いたしました。

丹後、タニハの国は、日本建国始まりの地であった、この研究成果を発表。

基調講演としては、人気歴史作家関裕二先生 をお招きして「日本の基礎を築いた環日本海文化圏と丹後」というテーマで熱弁いただきました。桂米團治師匠とともに歴史談義を行いました。

私は、まさにテーマのごとく「日本建国始まりの地  大丹波王国」と題し、歴史がひっくり返された根本から湯舟坂古墳の意義、応神仁徳天皇にいたるまでのタニハの歴史。ヤマト政権の前史、本史にかかりタニハが勢力を誇ったことについてお話させていただきました。

黄金の大刀に惹かれる私は、長緒鬼無里様より溶射の技法では日本における第1人者といわれる近藤博美様をご紹介いただき、作成いただきました。

また、丹後、タニハが始まりの地であることを作詞し、それをギタリスト山崎昭典様に作曲いただき、この講演会で披露させていただきました。「タニハ始まりのくに」「卑弥呼の祈り永遠に」などCD発売いたしました。

タニハの夜明け、よみがえる時が来たことを研究会で表現させていただきました。皆様ありがとうございました。

第7回研究会盛況、皆様ありがとうございました

桂米團治師匠のブログに歴史作家関裕二先生と出演️
令和3年8月29日

古代史に造詣深い米團治さんと関裕二先生は、大の仲良し。近江八幡を案内するため、私も参加させていただき、少しご案内させていただきました。完成したユーチューブが公開されましたので、ご覧ください。ありがとうございました。

https://m.youtube.com/watch?v=JtGtuqXsEwo


安野光雅先生に捧ぐ追悼コンサート
令和3年8月12日

和久傳ノ森、森の中の家安野光雅館において、8月12日、昨年、12月、94歳でおなくなりになられた安野先生への追悼コンサートを行いました。先生は、生前、『片想い百人一首』のなかで、「別れにはバッハの無伴奏チェロ組曲と人しれずこそ思ひそめしか」と歌われていました。

「もし死んだら、葬式もどうでもいいけど、そのかわりにこのレコードを葬送の曲にしてもらいたい、などときざなことを考えている」と書かれていました。

このたび、世界的にご活躍されていらっしゃいます、ヴァイオリニスト高雄敦子様においでいただき、安野光雅先生へ捧ぐ 追悼ヴァイオリン演奏会を開催させていただきました。曲目の選定について高雄様のお母さまとお話をしておりましたところ、「バッハかな、無伴奏~」とつぶやかれ、まさに、その曲こそ、安野先生に捧げたい曲であり、目に見えない大きな力、通じるものを感じた次第です。

無伴奏チェロ組曲第1番より「プレリュード」/ J.S.バッハほか数曲演奏いただきました。

美しい音色が館内に響き、知らず知らず涙が零れ落ちる感動のひと時でした。安野先生は聞いていてくださったと思います。素晴らしい演奏をありがとうございました。皆さま、ありがとうございました。

戸田勝久先生の詩情あふれる幻想の世界



戸田勝久先生の詩情あふれる幻想の世界
令和3年6月8日

今度、6月9日からスタートするのは、安野光雅先生追悼展11点と特別展「戸田勝久先生の「風の調べ 空想とノスタルジーの世界」88点を展示させていただきます。

本は人の命よりもずっと長い年月を生きている、といわれる戸田先生の絵には本がいたるところにでてくる。「空の行方」「月の王国」「セレナーデ」「詩人の森」「蜃気楼の王国」「世界の果ての森」などなど詩情あふれ、宇宙のなかにいる私たち、時空を超えて現在と古代をまた、未来を行き来する幻想世界。風の時代といわれるいま、いまこそ、この世界を体感いただきたいと思う。

森の中の家安野光雅館で9月6日まで開会。6月9日の初日には、戸田先生も来館されます。6月20日には、ギャラリートークを行います。

是非お越しください。

戸田勝久先生の詩情あふれる幻想の世界

安藤忠雄さん、和久傳の森の中の家安野光雅館にてトーク会(「レジオン・ドヌール勲章」を受章)
令和3年5月25日

「森の中の家安野光雅館」に5月3日、安藤忠雄さんがお立ち寄りくださった。絵に描いたような晴天となり、外庭にて、急遽トーク会が行われた。このたび、フランス芸術文化勲章、レジオン・ドヌール勲章コマンドゥールを受章された。

「城崎は雨だった。丹後に来たら晴れた。丹後が雨だったらよかった。こんな遠いところ、ほんと、誰も来ないでしょう。絶望的でしょ。」と最初から毒舌ジャブの嵐で聴衆をくぎ付けにする。コロナ禍で、世界中、日本中大変。何が大事か。リーダーが大事。子どもは親が可愛がりすぎるのはダメ。梅田駅で子供が背中に12kg、両手に各1kg。これだけもたせて勉強させないといけないのかと。「お母さん、子供をプロレスラーにするおつもりですか」と聞くと、「いや、違うと。そうしないと一流大学にいけないから」と。日本の子供は、勉強させて、記憶させている。そうではなくて、スマートフォンや、ゲームをする時間を半分にして、こういう丹後の和久傳の森に来てすごす、こういう時間を持つことが大事。和久傳の森は、植物生態学者宮脇昭の指導を受け、その土地にあった樹木を植えて森を再生した。メンテナンスしなくてもよい生き生きとした森ができた。今の子どもはメンテナンスしすぎでよくない。

コシノヒロコの家を設計したとき、床暖房をするように作っているのに、床暖房をいれない。そこで、安藤さんの家はいいけど、寒いわ、寒いわ、といたるところでいいふらす。「こちらは床暖房まで計算にいれているのに、こういって営業妨害をするんですわ」と連続ジャブをとばし、皆をひきつけ笑わせてくれる。

「安藤さんは、大阪ですか」といわれる。「大阪に誇りをもって生きていますよ」

久美浜にも、誇りあるものがある。今の子供は誇りはないけど成績はいいと。「こういう時代をどう生きるのか。誇りが大事。」と、結ばれた。

安藤先生のお話は展開が早くて、人をまともに褒めないでその逆のすれすれをうまく表現される。これができるのは実は相手を大事に高く評価されているからであって、ここに安藤節の炸裂がある。さすがである。あっという間に感じられた安藤先生のトークだった。

安藤先生の本に『安藤忠雄仕事を作る』(日本経済新聞出版社)がある。

「安藤というやつは抜き身で走ってきた恐ろしいやつや。ちかよらんほうがいい」といわれたと、書いてある。フランスの詩人ポール・クローデルが「この民族だけは滅びて欲しくないと願う民族がある。それは日本民族だ」とある。「その日本は今存亡の危機を迎えている。東北地方にあれだけの犠牲者を出したいまこそ、第三の奇跡をおこすべく、日本は真の意味で変わらなければならない。」「まず、飼いならされた子どもたちに野生を取り戻させたい。」「この国が再び生き残るには技術革新より、経済より、何より自立した個人という人格をもつ人材の育成が急務である。真の人格を育てる教育にこそ劣化した人間と国家の再生がかかっている。」と安藤先生は結んでいる。ありがとうございました。快哉。

安藤忠雄さん、和久傳の森の中の家安野光雅館にてトーク会(「レジオン・ドヌール勲章」を受章)

祝・建築家「世界のアンドー」安藤忠雄さんがフランスの「レジオン・ドヌール勲章」の「コマンドゥール」を受章されました
令和3年4月27日

和久傳ノ森にある「森の中の家安野光雅館」を設計いただいた世界的な建築家、安藤忠雄さんが、このたび、「レジオン・ドヌール勲章」の「コマンドゥール」を受章されました。これは、かのナポレオン・ボナパルトによって、1802年5月19日に創設されたもので、文化、科学、産業、商業、創作活動などにおいて、民間人の「卓越した功績」を表彰するもので、フランス政府より授与されるもの。日本では建築家では安藤さんが初めてです。

人間は一人では生きられない、こんな時代だからこそ、「共に生きる」精神が必要。「自然と共に」「隣人と共に」「地球と共に」「世界と共に」。身近なところから視野を広げ、自分の足で前に進んでいくこと、行動を起こしていけばいいと、安藤忠雄さんが素晴らしい生き方をお示しくださいました。ありがとうございました。おめでとうございます。

祝・建築家「世界のアンドー」安藤忠雄さんがフランスの「レジオン・ドヌール勲章」の「コマンドゥール」を受章されました

「卑弥呼と邪馬台国」九州説、大和説を凌駕する丹後丹波説(大丹波王国説)アスニー山科にて講演
令和3年4月21日

2021年4月21日は、アスニー山科で講演させていただきました。

演題は、「卑弥呼と邪馬台国」。邪馬台国問題が解決しないのは、丹波王国が隠されているからではないでしょうか。大丹波王国説をお話させていただきました。考古学がどんどん後押ししてくれています。トヨが献上した「白珠」は、丹後の奈具岡遺跡で作られた水晶と私は考えています。コロナ禍にあって、人数制限、ソーシャルディスタンス、アクリル板に囲まれての講演でした。ありがとうございました。

邪馬台国、九州説と大和説を凌駕する丹後丹波説(大丹波王国説)

卑弥呼の時代である弥生後期の鉄に注目してみよう。九州、大和、古代丹後を比較してみると、まず、鉄器の出土量では、丹後・丹波・但馬地域が100だとしたら、山城・大和は、10~20であると、石野博信教授が述べている。また、鉄の保有量でいうと、九州が一番多い。しかし、弥生後期の丹後の大風呂南一号墓ではひとつの墓から11本の鉄剣が出土した。九州の鉄保有量が多いといえども、一か所からこれほど多くの鉄がでてくることはない。ということは、それくらい大きな武力を誇った大王クラスの豪族が丹後にいたということの証である。また、この大風呂墳墓からは、完形のガラス釧が出土している。赤坂今井墳丘墓からは、勾玉管玉で飾られたみごとな冠が出土している。こうした華やかな出土物があることは驚嘆に値するが、それも当然だ。古代の表玄関は、日本海沿岸であるからだ。

『魏志』倭人伝には邪馬台国への道筋が書かれている。対馬国から不弥国までは、九州の中に比定できる。難解なのは、投馬国と邪馬台国である。そして、このふたつの国にいくところだけが、「里数」で書かれず、「日数」で書かれている。しかも、「水行二十日」で投馬国、「水行十日陸行一月」で邪馬台国である。水行とは船で行くことである。九州にある不弥国を出発し、魏使は、日本海ルートで丹後に上陸したと考えられる。

「里数」「日数」で示された邪馬台国は、九州内にはおさまらない。また、弥生後期の先進地は丹後丹波地域であって、大和は次の古墳時代に隆盛を迎えるといえる。そして、大和は、丹後海人族がその基礎を作ったと考え、大丹波王国が邪馬台国と考える。このように、弥生後期丹後地域に九州にも大和にもまさる大きな勢力があったと考察する。古代の雄は、海を制し、鉄を制した海人族であり、その中心勢力は古代丹後にあった。

このように、弥生後期丹後地域に九州にも大和にもまさる大きな勢力があったと考察する。古代の雄は、海を制し、鉄を制した海人族であり、その中心勢力は古代丹後にあった。(伴 とし子)

「卑弥呼と邪馬台国」九州説、大和説を凌駕する丹後丹波説(大丹波王国説)アスニー山科にて講演

丹後、タニハに照準をあてれば古代史は解ける
令和3年2月9日

昨日、「古代史の謎は海路で解ける」決定版として、長野正孝先生から、新刊本をご恵贈いただきました。長野先生は、何度か丹後にお越しいただきました。

丹後に卑弥呼がいたということ、大丹波王国、タニハ、丹後王国こそ邪馬台国という私の説を名前も記し、書いてくださいました。

丹後は、日本建国始まりの地。卑弥呼は丹後にいたのです。

邪馬台国論争が終わらないのば、丹後、タニハを封印しているから。大和は丹後あっての大和。タニハが、でてきたら解けるのです。

時代は動いています。風は軽やかに流れています。

丹後、タニハに照準をあてれば古代史は解ける

「世界のアンノ」安野光雅先生、やすらかに
令和3年1月20日

追悼 安野光雅先生。

ありがとうございました。

山を見ると安野先生ならどう描かれるだろうと思う。今日のこの海の色は、どこかで。先生のあの作品の色に似ていると思った。

自然をこよなく愛された画家、安野光雅先生は、2020年12月24日、肝硬変のため、94歳の生涯を閉じられました。

42歳、「ふしぎなえ」で絵本作家として世界デビュー、シカゴトリビューンオーナー賞を受賞。世界中で大評判となりました。以来、数多くの作品、多くの受賞歴を重ねられ、「世界のアンノ」「世界を旅した風景画家」と評されました。

丹後に和久傳の「森の中の家安野光雅館」が開館したのは、2017年6月23日。何度も丹後においでいただき、オープンにそなえ、ポスターやしおり作りの細かなアドバイスまで直接にご指導いただくことができました。美術館の中で安野先生のおだやかな優しい水彩画に日々囲まれて心に栄養をいっぱいいただきました。

「何もすることがなくなったら、やっぱり、絵を描いているだろうな。」最後まで、描き続けられ、書き続けられた、安野先生のご生涯。人々を「幸せ」にする素晴らしい優れた作品が永遠に残りました。

安野先生、いっぱいの宝物をありがとうございました。やすらかに。

「世界のアンノ」安野光雅先生、やすらかに

『蒲生野52』に、「卑弥呼」執筆
令和3年1月12日

八日市郷土文化研究会発行の会誌第52号の『蒲生野』が発行されました。

私は「卑弥呼」と題し、従来より主張している邪馬台国大丹波王国説を展開しました。高名な学者様方は、遺跡が重要を第一等にかかげられる。ならば、2世紀後半から3世紀初頭にかけての遺跡に注目し先進性がどこにあったかを言及するなら、やはり、丹後や近江、タニハ王国に注目すべきであろう。ヤマト説も、丹後あってのヤマトである。丹後の遺跡、近江の遺跡の先進性に注目し、ヤマト建国の基礎を作ったところがどこにあったか。これが一番重要である。

卑弥呼を擁立できる最強の海人族の中心勢力はどこにあったか。丹後の海人族こそ、多くの氏族にいたであろう日の巫女のトップとなる卑弥呼を擁立できたと考えたい。すなわち、卑弥呼の父は、倭得玉彦命。母は高額姫であり、父が息長宿祢王で近江につながる。また、「先代旧事本紀」のいう谷上刀婢(たなかみとべ)も近江の人。どちらからみても、母は、近江の人の可能性に言及した。卑弥呼の出自をはっきりとさせなければならない。卑弥呼は大丹波王国の日の巫女なのだということを。それが、倭国の女王とみなされたことを。

同会誌には、野村しづかず氏の「東近江地域の古墳時代」、中島伸男氏の「野々宮神社の考古学」等々、必見。

『蒲生野52』に、「卑弥呼」執筆

ユーチューブ第2弾『湯舟坂古墳』完成‼️
令和3年1月11日

タニハ王国の復活祈るユーチューブ第2弾『湯舟坂古墳』が完成しました。

久美浜町須田は、私の母の生まれたところ。湯舟坂古墳のそばには実家の畑地。亡母は、幼きころより、ここには神様がいらっしゃるところだから、絶対に上に上がって遊んではいけないといわれていたところ。

こから黄金の大刀が出土しました。1300年以上語り継がれる王家の伝承。

王家のふるさと、タニハ王国の復活を祈り、つくりました。また、ご覧ください。

https://m.youtube.com/watch?v=xNONAxiTUQE&feature=youtu.be


『日本はこうしてつくられた』阿部龍太郎氏の本に対談が。
令和3年1月2日

新年早々、直木賞作家阿部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた』をいただきました。

以前、古代丹波歴史研究所をお訪ねくださり、対談し、月刊誌『サライ』に掲載いただきましたが、全国の半島の古代史を取材されたもの。

第2章 謎の丹後王国。天孫降臨は丹後にもあったことなどなど書いてくださっておりました。ありがとうございました。

『日本はこうしてつくられた』阿部龍太郎氏の本に対談が

2021年、明けましておめでとうございます。KBSテレビで美術館を紹介
令和3年1月2日

先般、KBS京都テレビの「ミュージアムに行こう」で、森の中の家安野光雅館をご紹介いただきました。

京都府知事によるオープニングトークで始まり、キャスターは海平和さん。

展示は安野先生の新作初公開の「絵あそび」、また「もりのえほん」、安野先生の新境地といえる「阿修羅像」など。

阿修羅は元々正義を司る神ですが、それが強すぎるため戦闘の神ともいわれ、また慈悲の神といわれますが、魅力は少年のような憂いを秘めた表情。見ていると古代に引き込まれそう。表情の裏にさまざまな歴史を垣間見る楽しみがあります。

今年もよろしくお願いいたします。

https://m.youtube.com/watch?v=J_z8UXddEBQ

KBSテレビで美術館を紹介

KBSテレビで美術館を紹介
クリックでPDFでダウンロードできます(表裏2ページ)



伊敷豊氏の『藤原不比等』を読んで。
令和3年1月1日

古代史革命。真実の古代史は、地域の伝承に隠されている。

『藤原不比等』を上梓されたのは沖縄の伊敷豊氏。

伊敷氏は、神人の家系。かつては、琉球王族尚家を時には上回るほどの勢力をもった琉球王家へ神女(ノロ)を輩出していた家系の血統で、今も伊敷豊氏の兄上が継承されている。豊氏は研究家であり著述家であり実業家の顔を持つ。古代の秘密を鋭くつかむ嗅覚をもち、明晰な頭脳で分析し、自らの中に蓄積されてきた神人の血流がこの本を記すに至った。

天御中主神(豊受大神)を祀る斎場として沖縄と丹後が結び付く。私の拙著にも目を通していただき、『海部氏系図』が大きな謎を解く鍵となったと記す。

「不比等が隠した天御中主神(豊受大神)」

「大化改新の眞のターゲットは彦火明命系皇統」

「天智・鎌足独裁政権の失敗が壬申の乱へ」

「天橋立は沖縄を指し、沖縄は元伊勢を指す」

古代史の真実を語るには勇気がいる。

豊受大神を祀らなければ国成りがたし。

伊敷氏は記す。「『日本書紀』は、「藤原氏新皇統誕生」というコンセプトで書かれていたはずで、中臣氏が人代初頭より登場し「大化改新」を成し遂げるストーリーにする必要があった。」と。「出雲大社の大国主神がなぜ西の方角を向いているのか。遥拝する東の方角には何があったか。丹波国があった。」と。

不比等にとって、隠したかったのは大丹波王国、タニハ王国であったことを記している。

世界が変わろうとしている今、しなやかに大丹波王国、丹後王国、タニハ王国の蘇る時を迎えた。

深く謀り、遠く慮りて、しかし、勇気をもって、簡潔明朗に淡々と記された『藤原不比等』である。

古代史革命は、淡々と進んでいる。

伊敷豊氏の『藤原不比等』を読んで



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