天日槍の足跡など訪ねて、御出石神社、出石神社等々めぐりました。そして矢田神社。西賀さん引率ありがとうございました。
たくみやで、佐藤洋太さんの出版を祝いました。雨天候でしたが、お参りするたびに雨がやむ不思議。九州、神戸、また、但馬、丹後久美浜の皆さんと、お参りしながらたくさんのお話。ありがとうございました。
去る11月28日に、古代丹波歴史研究所の会員の方々10名が遠く千葉県から丹後までお越しくださいました。
2泊3日で丹後の古墳、神社をめぐられ、最後に和久傳ノ森で、私の「大丹波王国論」を聞いていただきました。
なによりも、遠くからきてくださったこと、古代タニハ、丹後に注目いただき嬉しかったです。ありがとうございました。
世界でいちばん美しい伝説のひとつは天女伝説です。10月30日は、和久傳ノ森において、「OKINAシルクロードプロジェクト丹後編」が行われました。
「世界をつなぐ天女伝説」と題し、天女伝説のふるさと丹後についてお話させていただきました。注目の135度線上に天女の里や天女に関わる神社があります。
その後、美術館の広場では琵琶奏者友吉鶴心様、和太鼓奏者の坂本雅幸様、平原慎太郎様のダンスパフォーマンス。心に響く琵琶と太鼓、そして天女の舞でした。
以前から行きたいと思っていた六甲山の六甲比命神社にお参りさせていただきました。大江さんのご説明ありがとうございました。瑠璃さんたちの主催される佐藤洋太さんの「神武天皇と卑弥呼の時代」出版お祝い会も素敵なフォトンで開催されました。瀬織津姫様の結んでくれたご縁でしょうか。皆さまありがとうございました。
古代丹波歴史研究所の第8回研究会を令和4年8月28日、みやづ歴史の館で開催。豪華来賓を迎え、講師陣は、沖縄、埼玉から飛んできてくれました。
ご来場者150人、地元丹後地域、但馬、丹波の皆様をはじめ、青森、群馬、埼玉、茨城、東京、神奈川、千葉、兵庫、京都、大阪、愛知、滋賀、鳥取、九州、沖縄などなど全国からお越しいただきました。
ご来賓には『イザナミ語造語辞典・偽史倭人伝』など言語学36ヶ国語を学ばれ、歴史、小説、詩文とオールマイティの作家 石田天祐先生、ベストセラーの歴史作家として著名の士 関裕二先生、そして人間国宝桂米朝氏の御曹司人気落語家で歴史にも造詣深い桂米團治師匠。まさに、鬼才、天才の個性的な皆様からご挨拶をいただきました。ありがとうございました。
講演は、沖縄神女ノロの家系の伊敷 豊 氏が「藤原不比等 大罪」と題し、不比等が消したホアカリを力説。次に、「初代天皇の故郷 丹後国 卑弥呼の源泉を探る」と題し、全国千の神社をめぐり、丹後が根源だとわかったと、神社伝承研究家 佐藤洋太氏が熱弁。私は、「隠された大丹波王国」と題し、丹後、タニハの神髄に迫らせていただきました。ヤマト建国の始まりの地です。王家はどこにあったのか、ここです。その後、西賀さん、坂根さん、石田さん、熊谷さんとともにシャーマンシスターズの歌、「卑弥呼の祈り永遠に」は、六条太郎さんのやまとなでしこのみなさん、そして、孝基くんとリオちゃんが素敵なバレエで盛り上げてくれました。そして、なによりも、ひたすら協力してくれたスタッフの皆様、ありがとうございました。
会場の皆様の心と魂が融合し一体になれたような空気が流れた喜び。きっと、古代の建国に携わっていたころ手をつないでいたのではないでしょうか。本当に、楽しいひとときをありがとうございました。
二次会も82名の皆様が参加くださり、沖縄の踊りも伝授していただきました。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
先日、京都府教職員互助組合退職互助部の皆様のところで、古代丹後について知遊館にて聞いていただきました。
遺跡のすごさと「古事記」「日本書紀」の伝承の解釈、応神天皇の名前替えの謎までお話させていただきました。
古代タニハを隠し綴られてきた歴史も、発掘成果は沈黙していません。一番新しい古代史は、丹後、但馬、丹波というタニハを表にださねば語れないとの思いです。
宮津の和貴宮神社は、天照大神を主祭神として、イザナギ・イザナミ、豊受毘売神、阿賀姫神など祀られている。拝殿の横に大きなご神木、その隣りには、大きな磐座がある。これは、かつては、海中にあったとされる巨石で、「水越岩(みずこしいわ)」あるいは、「波越巌(なみこしいわ)」と称され、神が降臨されたところとして祀られている。街中であるが、古代は、このあたりまで水がきていたといい、海の水戸(港)であったらしい。
ここを舞台に創作された歴史芸能劇、「天の波濤」のプレ公演がみやづ歴史の館で上演された。音楽は、山崎昭典さん、舞台美術は、村尾清さん。
本公演は、令和4年10月16日に和貴宮神社境内で行われるとのこと。また、10月30日にはみやづ歴史の館で行われるとのこと。私も観劇、楽しませていただきました。
新緑の5月。京丹後市久美浜町。かぶと山を拝んだという拝み岩がわずかに残されているので、再度拝み岩へ。そこからかぶと山を遥拝しました。そのあと、塚ナル古墳を見学。茶臼山古墳を遠望し、次はかぶと山に登りました。上まであがると、熊野神社と絶景久美浜湾と大明神岬を眺めました。少彦名命は熊野の岬から常世へ。常世信仰あまたあふれる丹後。不思議なさわやかな気が流れていました。
翌日は、京丹後市高齢者大学開校式後、「熊野、始まりの地、久美浜」と題してお話しさせていただきました。くま kuma は かみ kami、熊野は神の里。始まりの地。川上麻須良、ひばす皇后、丹波道主王の伝承の残る王家の故郷です。
京都地名研究会は設立20周年を迎え、京都において記念講演が開催されました。小寺慶昭会長の挨拶にはじまり、登壇されたのは、早稲田大の笹原宏之教授が「地名の漢字から読み取れること」と題し、地名から歴史や暮らしが推察できることについて、九州大の服部英雄名誉教授は、「歴史と地名学」と題して歴史学と地理学との関係性において地名を考えることを論じられました。
その後、懇親会は小寺会長の挨拶、小牧誠一郎様の乾杯のご発声でにぎやかに開催されました。発刊された20周年記念号『地名探求』には、多くの会員による興味深い論考がまとめられました。私も、熊野の地名を考察し書かせていただきました。改めて学びの大事さを思いながらひとときを過ごしました。
皆様とともに、平和を強く心から願います。
協議をさらに進めて停戦を早く。一日遅れれば、さらに大きな生命が失われます。未来を担う子供たちを悲しませてはいけません。母性のある政治判断を即時してください。
かつて、日本も無謀な戦争によって尊い生命を数多く失いました。当時、昭和16年宣戦の布告とともに、我が父も出兵。所属した福知山歩兵第二十連隊三ヶ大隊約4千名の部隊はフィリピン・バタアン半島に派遣されましたが、すでに全島が要塞化されておりました。隊は全滅の中、負傷しつつも生還した父は、作戦本部の戦局を誤った判断のしたに命令が下され全滅にいたったこと、かけがえのない戦友を失い、多くの人々が味わった苦しみを生涯、心に重く受け止め、平和を強く希求、戦争は二度と起こしてはならないと悲痛な思いで『フィリピン・バタアン戦記 死線を超えて』(柴田義男著)を書き終え、亡くなりました。
戦争がもたらすものは哀しみでしかありません。人類は過去に学び、美しい平和世界で、安らいで生きる権利があります。世界の平和を強く望みます。
明けましておめでとうございます。昨年中は、大丹波王国を応援していただき、ありがとうございました。タニハのすごさは、これからますます証明されることと思います。
「ACT4(アクトフォー)」という素敵な雑誌に掲載いただきましたので、ご覧いただければ幸いです。
「和久傳ノ森物語」が特集され、私の「九州、大和を凌駕する大丹波王国がよみがえる」と題したものも掲載いただきました。タニハが、丹後が、日本海沿岸が、ますます栄えますことを、お祈りいたします。そして、健康におだやかに暮らせますことをお祈りいたします。今年もよろしくお願いいたします。